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「ちなみに、おいくらなんですか?」
「決まった値段はありません。お客様の言い値で結構です」
「そんなことあるんですか」
「はい。その一行の価値はお客様にしかわかりませんから」
言葉の意図をいまいち掴みきれずにいると「失礼ですが、お客様」と声が聞こえた。
「お客様は何かを求めてここを訪れたのではないですか?」
店員は温度のない声で僕に尋ねる。胸の奥が少しだけ動いた気がした。
「……どうしてですか?」
「当店はお客様のニーズにお応えして開店致します」
遠く離れたレジに立つ彼女は淡々と答える。
僕が店に入ったときから店員はカウンターの奥に立ったまま微動だにしていない。棚に並べられた本と同じように整然と佇んでいる。薄気味悪くも、神々しくも思えた。
「お客様がある一行を求めたとき、それをお届けすべく当店は営業を始めるのです」
こんな山奥に本屋があるなんて。
店員の言葉を聞いて、この店に入ったときの驚きにようやく納得した。
なかったのだ。こんな山奥に本屋なんて。
こんな山奥の、断崖絶壁の際に本屋なんて。
「……ああ、そうですね」
三日前、長年働き続けた会社で解雇を言い渡された。
職を失い、夢は忘れ、家族や友人もなく、両親もとうの昔に他界している僕は自分の価値を見失った。崖の上まで辿り着いてもそれは見つからなかった。
あと一歩ですべてが終わる。
そんな場所に立ちながら、けれど心の奥ではまだ足掻くように理由を探していた。
もうこの世に未練なんてないはずなのに。山を登りながら、遺書を書きながらも、僕はみっともなく生き続ける意味を求めていた。
だから開店したのだ。
こんな山奥に、本屋が。
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