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「たった一冊の、たった一行」
静かに響く声に僕はいつの間にか俯いていた顔を上げた。
美しく整列した本たちが目に入る。一人だった僕に一人を忘れさせてくれた本たち。
「けれどその一行はそれ以外の何千行を瞬時にありありと蘇らせる一行であり、貴方に夢や希望を抱かせる一行であり、その出会いを境に人生を二分する一行でもあります」
そうだ。その感覚は知っている。
死がよぎったのは今が初めてじゃない。中学でも、高校でも、大学でも、幾度となく僕は自分を終わらせようと考えたことがある。それでもここまで生き延びてきたのは何故か。
そのたびに、もはやどれかも憶えていない本に心を動かされたからだ。
自分の中の形にならない感情や真に欲していたものを言葉で示してくれることで、どれだけ救われた気持ちになったろう。
「ごゆっくりお探しください。当店ではお客様のご希望に添える一行がきっと見つかるでしょう」
店員に促されるまま本棚を見渡す。
よく見ればここにある本はすべてハードカバーだ。僕は持ち運びやすい文庫本を好んで読んでいたが、それらもすべて重厚なカバーで大切に守られている。
「……なんで」
僕の口から言葉が零れた。情けないほどか細い声だ。
「なんで、僕なんかのために」
「それはお客様が」
吹けば消えてしまいそうな弱々しい問いかけに、店員は律儀に答えを返した。
変わらず抑揚のない、けれどはっきりと響く声で。
「これほどにたくさんの本を愛してくれたからです」
両側の壁一面に並べられた本が一斉にこちらを向いた。そんな気がした。
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