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僕はゆっくりと足を踏み出し、店の奥へ歩みを進める。
背表紙に書かれたタイトルを目でなぞった。見覚えのある文字列が鍵となり、僕の記憶の錠をひとつずつ解いていく。
レジまでかなり近づいたところで、一冊の本に目が留まった。
確か高校生の頃に読んだいわゆるヒューマンドラマと呼ばれる作品で、読み終えた当時はあまり心に響かなかったものだ。
けれど、今はどうしてかひどく気になった。
僕は本棚に手を伸ばし、傾けるようにしてその本を取り出す。するりと抵抗なく引き出された本を見つめる。
「これ、だったかも」
「お客様」
手に取った本を開こうとすると、鋭い声が僕の動きを制止した。
「立ち読みはご遠慮ください」
僕は手を止めて、その一冊をレジへと運んだ。
背表紙と同じく無地にタイトルと作者名だけが書かれているシンプルな表紙の本をカウンターの上に置く。この時点で、すでに僕の中に不思議な確信があった。
この一行は今の僕にとって何よりも大切な一行だ。
今後の未来を大きく作り変える一行だと。
「いらっしゃいませ」
店員はもう一度歓迎の言葉を口にした。
綺麗な色の唇だけが滑らかな曲線を描く。それ以外はやはり微動だにしない。
「さて、お客様」
彼女はカウンターに置かれた本には触れもせず、ただ店のルールに則って、こちらに問いかける。
「この一行に貴方はいくらの値段をつけますか?」
(了)
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