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君の宛名は
見覚えのない宛名。
自宅ポストに届いたハガキを私は二度見する。
【赤塚 洋子 様】
アカツカ・ヨウコ?
━━誰だ、それは。
私の名前は、北沢真梨。
「全く被ってない。一文字も!」
【H市N区三丁目5ー3 ベルファームハイツ 305号】
宛先は一字一句間違いなく、ここ、北沢真梨の住所だというのに。
このアパートに越してきたのは一ヶ月前。
長年付き合っていた彼氏との同棲生活を解消し、やむなく探したワンルームだったのだけれど。
「もっと早く、一人になればよかった」
そんな解放的な気持ちになれるほど、取り急ぎで決めたわりには住み心地の良い部屋だった。
「前の住人かな。転居届けくらい出そうよ、赤塚洋子さん」
ダイレクトメールならば、破って捨ててしまうところだったけれど、めくった裏面には、丁寧な手書き文字が認められていた。
『洋子、元気かい?俺が悪かった。やり直そう。突然訪ねても会ってくれないだろうし、君の携帯番号もメールもSNSのアカウントも消えてしまって連絡が取れないので、こんな方法しか思いつかなかった。本当に反省している。正人』
「正しい人と書いて、マサト? 何をやらかしたんだよ、マサト」
堅物の象徴のような送り主の名前に加えて、真面目な人柄を思わせる文面。だのに、肝心の『謝りたい出来事』について1ミリも触れていないではないか。
もしも、自分が洋子の立場だったなら……。そんな思いを馳せる間もなく、私は秒で声を漏らした。
「うざっ」
どうしたものかと、カップラーメンが出来上がるまでに考えた結果。マサトからの手紙は、ひとまず手元に保管しておくことにした。
*
翌日。
『赤塚 洋子』宛のハガキは、再びポストに投げ込まれていた。
『洋子、何度もすまない。君に許してもらえるよう、趣味で通っていた詩吟教室は辞めた。僕のメルアドは変えていない。やり直そう。連絡を待っている。正人』
「マサト、詩吟教室で何をした……もしや、熟女と不倫?」
飲んでいた缶チューハイを吹き出しながら、目の前にいるはずもないマサトに私は語りかける。と同時に、少しだけ……ほんの少しだけ、洋子を羨ましくも思った。
「同棲解消以来、無しのつぶてだもんなぁ……ウチの元彼は」
マサトほどでなくとも、少しは執着心を見せてほしかった。向こうからのアプローチで付き合い始めたのに、別れる時は未練の欠片も見せず、去って行きやがって。
そんな愚痴を巡らせながら、消せずじまいな元彼の連絡先データをスマホから引っぱり出し、やっぱり完全に削除することをためらってしまうのだった。
*
翌々日。
待っていなかったといえば、嘘になる。三通目の『赤塚洋子』宛のハガキを今日も私は受け取った。
送り主の正人(マサト?)は、いまだに洋子がこの住所に住んでいると思い込んでいる。
『洋子。もう元通りになろうなんて、思っていない。ただ謝りたい。これで最後にする。連絡を待つ。
正人→✉️masato.love-youko@xxx.ne.jp』
「マサト・ドット・ラブ・ハイフン・ヨウコ。やっぱり『正人』の読みは『マサト』だったか。マサト、個人情報ダダ漏れ。無防備すぎるよ、マサト!」
復縁に一縷の望みをかけた正人が、赤塚洋子に向けて改心を猛アピールしていることだけはよく分かった。
「これは、一肌脱ぐっきゃない……のか?」
━━届け、洋子を想い続ける正人へ!
正義感に駆られた私は、矢も盾もたまらず。自身のスマホを取り出すや、メール作成画面を新規で立ち上げた。
「マサト・ドット・ラブ・ハイフン・ヨウコ……」
一文字ずつアルファベットを口ずさみながら、宛先欄へ正人のメルアドを打ち込む。誤爆を避けるべく繰り返し読み上げたなら、後は勢いに任せるのみだ。
『件名:ベルファームハイム305号より 本文:正人様。おハガキ受け取りましたが、赤塚洋子さんはすでに退去されています。お二人が再び話し合えますよう、お祈りいたします。現住人より』
「ふう、これで良し……」
達成感に浸る間もなく。
まさかの秒で、返信がきた。
『件名:ありがとう 本文:君はいい人だね。僕の思った通りだ。君を見かけて、君と繋がりたくて、嘘のハガキを君の自宅ポストへ直接投函しました。赤塚洋子なんて、存在しません。正人という名も、僕の誠実さをアピールしたく考えた偽名です。君の名前を教えてほしい』
「ただのストーカーかよ。ていうか、あなたが誰よ。まずは自分が名乗れ。この気持ち、届け正人(偽名)へ!」
<END>
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