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3.虫の居所
「は……? あ、うん。そうか」
アニメに相当かぶれているらしい。台詞まで芝居がかってきた。だが、これはおそらく南波の作戦に違いない。チョキは出さない、と言いつつチョキを出す……と見せかけて、パーを出して「だから言ったのに」とグーを出した孝貴に向かって勝ち誇ってくる気だろう。だとするならば、出す手はチョキが正解か。
とはいえ、不動産営業をしている南波は仕事がハードだし、疲れているはず。となれば、わざと負けて皿洗いは自分がしたほうがいいかもしれない。ということは出す手はグーになるが、万一、言葉とは裏腹にチョキを南波が出してきたら? こちらが勝ってしまう。負けるためにはパーを選ぶ必要があるのか。しかし、同じことを南波が考えていた場合はどうなる? システムエンジニアをしている孝貴もここのところ忙しい。わざと負けようとしてくれているのなら、グーを出してくるかもしれない。じゃあこちらが出す手はなににすべきなのだ?
さて、どうしよう。進退窮まった。
「いくよ。ラスト一回。ジャンケン」
「え、あ……ええと、ポン!」
ええい、ままよ! と孝貴は手を振り下ろす。見ると、南波の手はパーを形作って目の前にあった。
正解はグーだったかあ! と指を二本出すチョキスタイルになった自身の手を孝貴は見下ろす。まあ、勝ってしまったけれど、こちらは一勝二敗。まだ勝負の行方はわからないし、南波が負けたとしても皿洗いはさりげなく自分が代わればいい。そう簡単に考えていた。だが。
「チョキって、どういうこと?」
低い声が目の前から漏れ聞こえ、孝貴はぎょっとした。
「は? え、だって、南波、グーを出す気だったんじゃないのか? だから俺は……」
「俺はハサミで縁を切るのは嫌だと言ったのに。孝貴さんは躊躇なくチョキを選ぶんだね。孝貴さんがそこまで負けず嫌いだなんて思わなかった」
わざと負けようと思った、と言いかけた孝貴に向かい、南波がぷくり、と頬を膨らませた。
いつもなら可愛くてたまらない表情だ。相手がどんな手を出したかくらいで膨らんでしまうなんて本当に南波らしいなあ、と笑って許せる。
けれどこの日は残念ながら、孝貴自身、少々虫の居所が悪かった。
「いやいや、ジャンケンくらいでそんな謎の論理持ち出されても困るし。そもそも負けず嫌いなのはお前のほうだろ。ゲームしててもいつも俺が勝つと『あと一回あと一回』って勝つまで食らいついてきて。そういうの楽しいけどちょっと疲れるときもあるんだよ」
気が付いたら普段は言わないことまで言い返していた。
「あ、ええと」
しまった言い過ぎた、と気づいて言い繕おうとしたが遅かった。
「そうだよね」
南波の声のトーンがすっと下がった。
「確かにそうだ。俺、なんかつい熱くなっちゃうとこあって。ごめんね。皿洗いは俺がするから。孝貴さんは寝てていいよ」
怒っている様子も、悲しんでいる様子もなく、南波はそう言う。そのまま軽い笑みを閃かせ、彼はキッチンカウンターの奥へ消えた。
ごめんね、と言いたげな水音がキッチンからは細く響いていた。
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