5.変化

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5.変化

「今日は皿洗い、俺するね」  夕飯後、にこやかに言いながら食べ終えた皿を重ね、キッチンへと向かう南波の背中を孝貴は見送る。  ここ最近はずっとこうだ。ジャンケンしよう、とまったく言ってこない。ふたりでリビングで並んでゲームをすることもなくなった。 「なあ、南波」 「んー?」  皿洗いを黙々とする南波の横から呼びかけると、スポンジで丁寧に皿から汚れを落としながら彼がのんびりと返事を返してくれた。  平生となにも変わらぬ柔らかい声だ。聞くだけで癒される暖かい、声。  ただ、その声には、数日前にはあった跳ね回る子猫のような活発さは見えない。  考えたくはない。ないが、思ってしまうのは、南波がこの声を無理して出しているのではないだろうかということだ。  不動産営業は客に寄り添い、ときに自分を殺しながら人に合わせることが求められると聞く。客のニーズを敏感に察知する能力に長けた南波だ。彼は、孝貴があのときぽろっと零した「疲れる」を拾っておきながら放置することができるタイプでは到底ない。  負けず嫌いを直す方法、とでかでかと書かれた実用書の表紙がふっと脳裏を過った。 ──つまり、今彼は、職場でも家でも自分を殺している、ということにならないか。 「南波」  ついと手を伸ばし、水道のノズルを下げ水を止めると、南波が驚いたように顔を上げた。 「なに? どした?」 「ゲーム、付き合って」 「は? いや、でもまだ皿洗い途中……」  言いかけた彼の手を孝貴は手拭きタオルで問答無用に拭く。そのままその手を引き、リビングに戻ると、南波をテレビ前のローソファーに座らせた。ゲーム機を起動させ、彼が数か月前から熱心にプレイしているレースゲームのプレイ画面を表示させる。 「久しぶりにやりたくなったから。付き合って」 「あー、ええと、でも、俺、夢中になり過ぎちゃうし。そうすると寝るの遅くなるし、だから」 「俺が南波とやりたいんだ」  きっぱりと言い切ると同時にゲームをスタートさせる。エンジン音と共に縦二分割となった画面の左側を走る青い車がコースへと飛び出す。 「ほら、このままだと俺が先に行っちゃうぞ」  肘で軽く南波をつつくと、彼の手がそろそろとコントローラーを操作し始めた。出だしが遅れたせいか、彼が操縦する赤い車体は孝貴より大幅に遅れてゴールする。 「もう一回、やっていい?」  コントローラーを持ち上げながら提案すると、南波は迷うように目を伏せてから、こくん、と頷く。  再び走り出すが、もともと南波よりも孝貴はこのゲームが得意だ。今度も孝貴が先にゴールすると南波がちょっとだけ唇を尖らせた。 「南波、俺はもう一回やりたいけど。南波はどう? まだやりたい?」
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