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6.君のあと一回のために
訊ねると、南波は迷うようにモニターに目をやってから上目遣いにこちらを見てきた。
「もう一回、いいかな」
「いいよ」
頷いた孝貴の隣でふわっと南波が微笑む。心底楽しそうなその顔に胸を温められながら画面に向き直り、孝貴はコントローラーを握る。
やりこんでいるわりに相変わらず南波はゲームが下手だ。たいていのことは要領よくこなすが、彼は存外不器用なのだ。本人もそれはわかっていてできないことはその分努力する。
少しの間、南波とゲームをすることもなかったけれど、並んでゲームをしながら思う。
負けず嫌いで完璧主義。こういうところもやっぱりすごくいい。
「俺、ね」
そのとき、真剣にゲームをプレイしていた南波が口を開いた。
「なんか少し前に気づいちゃったことあって」
「なにを?」
「うん……」
言いよどんだ南波は、画面に顔を向けたまま、車を走らせている。彼の声を待ちつつ、孝貴も操縦していたが、ややあって彼が発した台詞を聞いたとたん、コントローラーを操作する指がもつれた。
「俺、見たかっただけみたいなんだ。『あと一回いい?』って頼んだときの『いいよ』って言ってくれる、孝貴さんの笑った顔」
「え、あの、それ……」
さっきまですいすい運転できていたのに、心の動揺を表すように車が右へ左へと蛇行している。それは南波もそうなのか、赤い車体もいつも以上に千鳥足だ。
「仕事上、笑顔は必須だし、こっちが笑って対応すれば皆、笑い返してはくれる。でも、挨拶でもコミュニケーション上のスキルとしてでもなく、純粋に俺を喜ばせようとして毎日笑ってくれるのって孝貴さんだけなんだよね。俺は……その笑顔を見る度に、明日も頑張ろうって思える」
でも、と呟きながら南波は照れを隠すように指をコントローラー上で走らせ続ける。
「それって俺のわがままだなって思って。孝貴さんだって仕事大変だし、俺に付き合わせて夜更かしさせていいわけないのに、なんかうれしくてもっと見たくて。いつもつい、ねだってしまう」
ごめんね、と彼が謝罪の言葉を口に上らせようとしたところで、孝貴はコントローラーを投げ捨てていた。
ごめん、なんて言わせたくなかった。
横に座る南波の顔から眼鏡をむしり取ると、孝貴さん、と彼が呼びかけようとする。が、止められなかった。
二台ともがコースアウトし、ゲームオーバーを告げる声が漏れてくる中、気が付くと衝動のまま彼の唇を唇で塞いでいた。
「あーあ。引き分けだ」
唇を離すと、腕の中から笑みを含んだ声で南波が言った。彼の前では冷静沈着とはいかない自分に恥かしさを覚えつつ、孝貴も笑う。
「どうする? もう一回する?」
コントローラーを拾い上げ訊ねた孝貴の肩越し、ちらっと南波が時計を見上げた。時計の針は午後十時二十八分を指している。
「じゃあ、あと一回だけ。いい?」
「いいよ」
やった、と南波の顔に花が開く。その眩しさに一瞬息が止まり、一度離した彼の肩を孝貴はとっさに掴み直していた。
え、と言いかけた彼をもう一度引き寄せる。自分の髪からもする、白い花を思わせる芳香が彼の髪からふわりと舞い、鼻先を掠めた。
香りに包まれながら、自分の中がどんどん埋められていくのを感じた。
負けず嫌いが過ぎるとか、夜更かしが辛いとか。結局のところ、そんなことどうでも良かったのだ。
そんなことよりこの数日、「いいよ」と言った瞬間に溢れる、南波のこの笑顔を見られなかったことによる渇きのほうが、ずっとずっと問題だったのに。
砂漠で水を求める旅人の必死さでもう一度キスすると、南波はきょとんと目を見張ってからぷっと噴き出した。
「あと一回ってこっちじゃないよ」
「あ、いや、わかってるけど、つい。てか、ごめん、こんないきなりだめ、だよな」
思わず気持ちのままに行動してしまったけれど、確かに突飛過ぎた。
孝貴は悄然とするが、南波は気にした様子もなく、くすくすと細い肩を揺らして笑うと、すいと腕を伸ばして孝貴の肩に回してくれた。
「だめじゃない」
うれしい、と付け足されたしなやかな彼の声を聞きながら、孝貴は決意する。
あと一回だけいい? と彼に言ってもらうため、これからも絶対負けられない、と。
画面の中では、青と赤のスポーツカーが、スタートを待ちかねるようにエンジン音を轟かせ続けていた。
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