Jヶ峰奇譚

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 予約を取っておいた広めのテーブル席に、僕たちは二人で腰を下ろした。  メニューブックを持ってきた店員に、僕はミルクティーを、蛯原氏はコーヒーを注文する。予定の時刻まではまだ余裕があった。他のメンバーはまだ集まっていないようだった。 「いやぁ、難しかったですよ。決まったお題で小説を書く、というのは投稿サイトなんかでよくやっているんですが、住んでいる土地をテーマに据えるというのは初めてで」 「蛯原さんはこちらがご出身ではないですもんね。書きづらいテーマで、申し訳ないです」 「いえいえ、むしろやりがいがありましたよ」  蛯原氏は僕が主催する読書サークルの一員である。  サークルでは現在、春先に文芸誌を発行する為に各メンバーから作品を募っており、今日はその読み合わせも兼ねてのオフ会だった。文芸誌の共通テーマには、僕らが住むH市を選定している。蛯原氏はつい半年前に越してきたばかりで土地の情報には疎いようだった。 「なかなかネタが見つからなくて。だから、自分が体験したことを書いたんですよ。この間ハイキングに行ったじゃないですか」 「ああ、Jヶ峰ですか。あそこは良かったですね」  つい先日、僕と蛯原氏は近場の低山にハイキングに出かけた。蛯原氏の趣味が登山であると聞きつけ、オフ会を兼ねて企画したのだ。  Jヶ峰は頂上からH湖が一望できるハイキングの穴場だった。天候にも恵まれ、気分の良い山行だったことを覚えている。 「登山レポートも兼ねた軽い読み物、みたいな感じですね。一万字も無いですけど、逆にサクッと読めて良いかもしれません。少し目を通してみます?」  そういうと、蛯原氏はカバンからA4用紙の束を取り出した。  確かにこれくらいの文量なら、オフ会が始まるまでに読めてしまうかもしれない。原稿を受け取り、僕は紙面に視線を落とした。表紙に『Jヶ峰奇譚』と題されていた。 「あ、そういえば」  ふと思い出したように蛯原氏が言葉を足す。 「ご存知でしたか?Jヶ峰の辺り、心霊スポットとして有名らしいですね」  初めて聞く話だ。へぇそうなんですね、と相槌を打ち僕は表紙をめくった。  手元の文章に目を通しながら、僕はJヶ峰で見た風景を少しずつ思い出していった。
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