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未熟で無垢で自由で単純に楽しかったあの日々が、今遠く離れてみると、ナスカの地上絵のように意味のある絵図として浮かんでくる。
あの頃からの贈り物のように、弓枝からメールが届き、それが沈みがちな加奈の心を浮き立たせた。
そのメールには、現在も関西に住んでいる千夏が久々に弓枝と加奈に会いにS市にやってくると書かれていた。
加奈の病気入院のことを弓枝を通して知った千夏が心配して、見舞いがてら訪れるということらしい。
入院中では面会時間も限られていてゆっくり再会を楽しむことができないので、退院して少ししてから会うことになった。
手術は無事成功し、1週間後には退院できる見通しなので、会うのは10日後ぐらいだろう。
千夏はフリーでライターの仕事をしているので、日程は割と柔軟に調整できた。
3人で会うのは、20年ぶりぐらいだった。
楽しみがあるということは、なんと有難いことだろう。
病気という薄暗いトンネルの先に、希望の光が見えたような気持になれる。
加奈は病室のベッドでスマホで「5年生存率」「10年生存率」再発の可能性、乳癌のステージ等を調べて、微妙に異なる結果に翻弄されて気分が滅入った。
それで、もう色々調べるのはやめて、本を読んだり持ち込んだCDラジカセで音楽を聴いたりした。
あの頃、中学生の頃は、CDラジカセなんてなかった。そもそもCDもなかったのだが、自分用のトランジスタラジオがあって、洋楽やGSの番組を聞いて、翌日学校で千夏、弓枝とあれこれ話し合った。
深夜放送をイヤホンをつけて聞いて、つい夜更かししてしまうこともあった。
弓枝からのメールがかぐわしい喜びの花を咲かせ、それに中学生の頃の思い出が蜜蜂のように群がってきた。
それともう一つ、加奈の気持ちを上向きにさせる本物の花があった。
加奈が入院している病院は、そこそこ広い公園に隣接しているのだが、病室の窓から公園の端っこに1本離れて植えられた桜の木が見えた。
最初は桜の木とは気付かなかったが、手術を終えてぼんやり窓の外を眺めていると、それが桜の木でつぼみが今にも花開こうとしていることを発見した。
東京では3月末に開花宣言が出されたが、東北のS市は例年4月初旬に開花を迎える。
そういえばもう4月なのだと、入院や手術のことで頭が一杯で季節が脇に押しやられていたことに加奈は遅まきながら気付いた。
桜のつぼみが、季節を囁き声で教えてくれたのだった。
季節の表舞台に立つ桜は、これから観客の声援に応えて一気に花開いていくだろう。
朝目覚めて窓の外を見て、桜の開花の進み具合を観察するという楽しみができた。
退院する頃には満開になって、喜びを増幅してくれるだろう。
それにしてもと、加奈は考えた。あの公園の桜は1本だけポツンと立っていて、まるでよその土地から移ってきたように周囲にそぐわない感じがする。
見たところ幹が太く黒ずんでいて、若木ではなさそう。ソメイヨシノの寿命は60年くらいだから、あの木は50年以上の「老木」なのかもしれない。
慣れない土地に移されて1本だけ孤立していて、それでも自分の花をそれが使命というように咲かせる木に、加奈は感銘を受けた。
木だって生きている。毎年花を咲かせるのは当たり前のことではなく、生きて花を咲かせようという意思の表れなのだ。
加奈の病室の真正面に見える桜の木と、彼女は1対1で向き合っているように思えた。
そして、桜のつぼみは加奈に何か懐かしいいものを届けるために開こうとしている、そんな気がした。
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