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涼路は薬らしい錠剤を優雅な手付きで飲むと、ペットボトルのキャップを閉めた。 「お金、返すよ」 律儀なことを言う涼路に、俺は首を振る。ここで笑顔で「いらねぇよ、気にすんな」って言ってやれれば、それで済みそうなものだがそうはいかない。 笑ったら襲われる!!! 目の前の爽やかな王子様だって、封印したとはいえまだまだ現役の"微笑みの天使"の笑顔を間近で見たら、相手が男だろうが正気じゃいらんねぇんだろ?……なんだそれ、どんな自意識過剰だよ、俺。……嫌すぎる。 「いや、いいよ。それより早く良くなれ」 自己嫌悪でうつむきながら早口で言うと、涼路はそれでも納得いかなそうに小さく唸った。それから、足音も立てずに近寄ってきて、壁にそっと手をつく。わざわざ俺の顔の横に突き立てられた手。真っ直ぐに合わせられた目線。数センチの身長差を際立たせる、前屈み。 「それなら、今度お礼する」 そのまま顎に指をかけられそうになり、俺は顔をそらす。壁ドンからの顎クイとかなんだそのイケメンの所業。王子様がワイルドに俺を襲うな! いや、ワイルドじゃない。どこかエレガントだから王子様なのか。 ……そうじゃないだろ、俺。もうやめて。 「やめろ、近付くな」 「何故?」 目を細めて顔を近付けてくる涼路から距離を取りたくて、とにかく顔を見られたくなくて、片手を持ち上げ腕で顔を隠す。顔が熱い。火が出そうだ。 何故じゃねぇよ、その綺麗な顔が近いからだよ! いや、そうじゃなくて、俺が! 顔を! 見られたくないんだってば!! 「こ、こんなこと男にされても嬉しくねぇんだよ」 なるべく声を荒げないように、気をつけながら絞り出す。声が裏返りそうだった。涼路はというと、壁に手をついたまま動かない。そっと視線を向けると、どうやら固まっているようだ。しかしそれも一瞬で、表情はすぐに爽やかな微笑みに変わる。薄い唇が綻ぶように開いた。 「……女の子はこうすると、喜んでくれるんだけど」 「……俺の、どこが、女の子に、見えるって?」 顔がひきつるのがわかった。何のためにマスクして前髪で顔を隠していると思ってるんだ。今日の服だって、深緑色のパーカーにジーンズだ。……女子にもいるかな、こんな服の奴。え、もしかしてパッと見、女子にも見えちゃう……? ふふっ。と涼路が笑い出した。同時に突き立てられていた手も離れていく。やっと適正なディスタンスを取ってくれたようだ。そのまま二メートルくらい離れてほしい。廊下の幅的に無理だけど。 「この学校では、性別はほとんど無意味だよ」 また王子様スタイルに戻った涼路は、少しだけまた目を細めた。それは笑っているのではなく、寂しそうな顔にも見える。初対面の今日で分かるはずもないが。 言われてみればこの学校は、ジェンダーフリーを掲げる学校だ。性別の自由が約束された空間。でも男は男、女は女らしく振る舞うことを否定している訳じゃない。 「……俺は、男だ」 だから、こう宣言するのは間違いじゃない。 寂しそうに見えた涼路の微笑みが、また少し色を変える。無邪気な子どもを見つめるような、優しげなものに。……誰が子どもだ。 「お前だってそうだろ? 涼路」 睨み付ける俺の視線を真っ直ぐに受けた涼路は怯むことなく、不敵な笑みを浮かべた。 「ねぇ、名前を教えてくれないか」 質問には答えてくれなかった涼路は、この学校ネームプレートもないし、と胸の辺りをつまんだ。中学までは左胸にくっ付けてあったプラスチックのネームプレート。 「……羽賀」 「自己紹介、聞こえなかったんだ。ね、羽賀くん」 壁につけていた背中を離し、俺の正面に立つ涼路。見下ろされるのに慣れてはいるが、逃げるに逃げられない状況はキツいものがある。 「なんだよ」 「涼路って、呼んでくれないか。君だけは」 呼んでるじゃん、ずっと。そう思いながら言えない。それは涼路が真剣な顔つきをしているから。茶化せない。 「いいよ。そのつもりだし」 女子達みたいに「王子~」とは呼べないし。笑えねぇ。笑わないけど。 「ありがとう」 頬を染めて、笑う涼路はどこか可愛らしくも見えて、不思議な感じだった。
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