少女(有川静)

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 店長と若い男性の店員が、ひそひそと話していた。きっとお兄ちゃんの提案をどう受け止めるかを考えているのだろう。  あたしとお兄ちゃんは、頭を下げたまま、店員からの言葉を待っていた。  ひどく長く感じられたその時間、手のひらにじっとりと汗をかいているのがわかった。 「……ふたりとも、顔を上げてください」 「……」 「示談は、なしでいいですから。お兄さん、彼女がここに近づかない誓約書だけ、書いていただけますか」 「あ、ありがとうございます……」  お兄ちゃんがもう一度、肩を震わせながら頭を下げた。  結局、学校への通報も、警察の通報もなく、あたしへの対応は厳重注意だけで済んだ。お兄ちゃんは真摯にそれを受け止めて、なんども謝罪を繰り返していた。  だけどきっと、すべてはお兄ちゃんの手のひらの上。  お兄ちゃんがお父さんに連絡した、という話も多分嘘だし、示談の話もハッタリだろう。店長は店長で、事を大きくすると会社自体を巻き込んでしまうから、たかが万引きで、面倒な訴訟なんか起こしたくないに決まっている。すべては兄によってなされた、事態を丸く収めるための画策だ。  お兄ちゃんが誓約書を代筆すると、あたしたちはやっと解放された。  帰り道、無言で家までの道を歩く。  隣に並ぶお兄ちゃんの顔を見ることができなかった。お兄ちゃんの感情がよくわからなかった。怒っているのか、悲しんでいるのか。  表情を上手に繕えるのはあたしの得意とするところだけど、さすがに血は争えない。お兄ちゃんはあたしよりも、表情を繕うのが随分とおじょうずだ。  そのまま無言で歩き続けて、家の近くの人気のない公園に差し掛かったときだった。  お兄ちゃんがそっち、といって、あたしを公園の中に誘導する。  連れてこられたのは、木の茂みにある死角だった。 「静、おまえさ、なにやってんの?」  あ、と思ったのも束の間。高く振り上げられる拳を視界の端っこで認識したと同時に、頭が割れるような衝撃が走った。  お兄ちゃんは、あたしの顔を思い切り殴ったのだ。  脳が突き放される心地がした。正常な感覚が遠くに逃げていく。  だけど、いつまで経ってもあたしの存在に無関心な母に比べたら、あたしの行為に、普段は見えにくい感情をむき出しにしてくれる兄のほうがマシだと思ってしまった。  鞭打たれる全身の痛みがあたたかくて、混乱する。あたしを思い切り怒ってくれるのは、そしてあたしを気にかけてくれるのは、この世界ではお兄ちゃんしかいないらしい。
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