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その状態で待っていると、階下から、こつん、こつん、と足音が聞こえてきた。
息をひそめて待っていると、そこに現れたのは、スーツを着たサラリーマン風の中年男性だった。髪の毛にはところどころ白髪が混じっていて、しみのある顔。年齢はお父さんと同じくらいに見えるけど、あまり清潔感がない。
男性は、あたしとお兄ちゃんの顔を交互に見た。
「この子が、サトルくんの妹?」
「はい、そうです」
お兄ちゃんの名前は絃のはずなのに、サトルと名乗っているから一瞬、びっくりしてしまった。
どうやらお兄ちゃんは偽名を使っているらしかった。なるほど、ここではそうやって振る舞わなければならないのか。
「へえ。サトルくんに似て、きれいな顔してるね。この子のお名前、なんていうのかな?」
兄がこちらに目配せをする。おまえも偽名を使え、と言われている気がした。察しの良いあたしは平静を装って口を開く。
「……ユキ、です」
「ユキちゃん?」
「はい、」
とっさに名乗った名前に意味なんてなかった。頭に思い浮かんだから、ユキ、と名乗っただけ。
そうなんだ、と男性が相槌を打つ。お父さんと同じくらいの年齢のはずなのに、お父さんとはぜんぜんちがう。額には汗が滲んでいて、髪の毛がべたついていて、なぜか、気持ちわるかった。
……この人に、下着を。どうしよう、やっぱりすこし、嫌かもしれない。
するとそのとき、お兄ちゃんが業務連絡をするように言葉を放った。
「さっきも言いましたけど、先払いでお願いします」
「はいはい、イチゴーね」
男性はお兄ちゃんに茶封筒を渡す。お兄ちゃんはその場で中身を確認した。中に入っているのは、1万5千円。
「毎度。じゃあおれ、下の階で待ってますんで」
「はあい、いつもどうもねえ、」
お兄ちゃんは茶封筒を持って、下の階へと降りていった。この場には、あたしと男性のふたりきりになる。
あたしは、生唾を飲み込んだ。男性が、あたしの身体を舐め回すように見ている。
この目、しってる。小学3年生のときに、あたしの体を触った、コンビニ店員と、おなじ目。
経験したことのある感覚なら、なんとかなる。予測ができるなら、対応ができる。うん。見られる視線だけを気にしないようにすれば、それで済む。大丈夫。あたしはぜんぜん、傷ついてなんかない。
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