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 レコーダーには、残業代不払いと、セクハラの証拠が残されていた。  桐谷先輩は、それを伝えたくて自分の前に現れたのだ、と、田中は思った。  職場は新たな上司の下、職場環境改善が図られ、現在進行中だ。現時点、残業代は付くようになった。    田中は、仕事に没頭するあまり、桐谷先輩の存在を忘れていた。  今更ながらに自分の後ろを振り返っても、桐谷先輩はいなかった。 (先輩……)    机に残された自分のレコーダーを手に取った。    音量を小さくして、耳元に当て、再生する。  シーシーという音の後に。  ……田中、ありがとな……  ようやく聞き取れるような、小さな小さな声だった。 『俺、家族がみんな死んでるから、田中は弟みたいなもんだよ』  生前、桐谷先輩はそう言っていた。  田中は、自分が、何処か桐谷先輩に甘えていた事を今更ながらに後悔した。 (先輩、感謝を届けたいのは俺の方なのに……)  田中は、静かに録音の再生を止めた。  右手が、何故かひんやりとしていた。        
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