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悪魔の誘惑は年を取っても…
その日は朝から曇り空だった。
作物はまだまだ成長段階で収穫は秋の気配がしてからだろう。
雨雲が遠くに見えている。
10日程の晴天で水撒きを予定していたけど雨を期待して切り上げて家に戻ろう思った矢先、見覚えのあるスーツと黒光りの靴と背格好の姿が農道と似つかわしくなくこちらに向かって歩いてきた。
そして農道の十字路で再会する形となった。
「お久しぶりです。テツさん」
「ああ久しぶりだね」
向こうは笑顔で語りかけてきたが俺はそんな気分になれなかった。
雨雲は重く、悪魔の背後に漂い湿った空気が悪い予感を増幅させた。
「すっかり音楽から身をひいたのですね。第二の人生をエンジョイされてらっしゃる」
エンジョイの発音がネイティブっぽく耳障りに聴こえる。
「そうだね。楽しくやらせてもらってるよ」
とやや息を詰まらせながらそう応えるのがやっとだった。
「いいですね、世相を洗うような澄んだ空と鮮やかな緑に囲まれて」
その後なにか言おうとしていたようだが少し思案して止めたようだ。
「今日はなんの用だ。雨雲も近いし早く家に戻りたいのだけど」
「あ、そうですね。今回はもう一度契約をしてみないか伺いを立てに来たのですがどうでしょうか」
どうでしょうか と言われても、そこまで言いかけられて興味が沸かない訳がない。
「どんな話だい。え」
感情が抑えきれず余計な語尾が出てしまう。
「今回はトマトの件でして、あま~いトマトを作る方法を」
悪魔は聞いてもらえそうな空気に喜び勇んだ様子で早口だったが
「ごめん。今回はあなたとは契約しないよ」
そう一言いうと悪魔はわざとらしく肩を落とし、
「分かりました。今回の話はとりあえずなかったことに」
と農道をわざとらしくゆっくりと歩いて帰って行った。
完
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