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水の入っていない空の水槽で泳いでいた魚達が暴れ出す。四方の硝子に映る全てが鱗を剥がして呻いている。次第にその体力も無くなり、精密な擬態が終わった。数えるのも億劫になる程の変身したスロウが水槽越しに此方を睨む。だが嫌悪感は無かった。彼らの左手の薬指に付いている指輪の意味を、今は確かに知っているからだ。ニスカリカも左手の薬指に指輪が嵌められていたが、彼女はそれを取り外すと荒っぽく後ろに投げた。砂の様に呆気なくペンギンの着ぐるみと指輪が崩れていく。
今まで、何故ニスカリカとスロウが敵対関係にあるのかを深く考えようとはしなかったのだろう。ニスカリカは水が苦手で、スロウと同じ指輪をしていて、それらの特徴からぼんやりと彼女も同種なのだと判断していた。
しかし映画館で見たのは、私の汗がニスカリカの皮膚に触れたり、シロップのかかったかき氷を頬張っている姿だった。あの時は自分の事ばかりで気付かなかったが、冷静になった私はこう結論を出せる。液体に触れているのに屋上で見た様に肉体が崩壊しないのは、ニスカリカがスロウとは別種の存在であるからだと。
では、ニスカリカは何者なのか。人間でもなく、スロウでもない彼女の正体は。あの子は何処からやってきたのか。
「スロウは、私が世界に描いたキャラクター。子供の時の私は自分の物だって証明したかったから、それぞれに結婚指輪をつけたのよね」
私の言葉にスロウは笑い、ニスカリカは怒っている。紙の上に描かれた存在だからスロウは水を嫌う。ふやけて、破れて、自分が消えてしまうからだ。彼女は今右手の小指にしか指輪が嵌められていない。棄てられたもう一つの指輪は、私がプレゼントしていない偽物だった。
「残った指輪は、約束の証なのね」
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