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私達が下に到達した時、カナエは黒い泥濘に呑み込まれようとしていた。そもそも私が存在を認知していたのは水族館までだった。こんな暗くて寂しい世界は一度も見た事が無かったのだ。液体に触れられるのは私だけだったから、何とか引っ張り出して人工呼吸をした。スロウ達は私とカナエを囲んで、声も出せずに見守っている。カナエは目を覚まさない。わたしのつみが背中に広がる。
「起きないと、悪戯しちゃうからね」
鼓動が有るのか分からない。血流も何も感じない。実体の無い私はどう抗っても感じられない。何分待っても呼吸はしているのに、その優しい声が聞けない。人の生死の知識なんて、宝箱には無い。
「ねえ、もっとデートしたいよ」
私の涙がカナエに触れた。
するとカナエの両手が輝いて、傍に有った宝箱が開いた。中に仕舞ってあった宝物が四散して、色鉛筆が宙に浮いている。勝手に世界に絵を描き出したそれは、私の四肢すら丁寧に抽出している。
ゆっくりと、ゆっくりと、過ちを正していく。
「……私、嫌な夢を見たわ」
「カナエ!」
目を覚ました少女に色鉛筆達は加筆していく。地面が呑んだ水気が彩色に象られたまま踊っている。慟哭も刻み込まれたまま全てを優しく変えていく。私の体が、遂に私と混ざり合って存在を顕す。
「私の拙い力じゃ全員は救えないわ。でも、これだけは信じて。皆、私の友達で、愛してて、特別な存在よ。離れてても、ずっと一緒よ」
私は次の行き先を知っている。多分、カナエも分かっている。
「皆、ニスカリカの事も愛して欲しいの。優しくて良い子だから」
私は翼を開く。カナエを乗せて飛翔する。天井に穴は開いていないが、道は確かに燦然と広がっている。下を見ると色鉛筆で描かれた新しい世界がスロウに安らぎを与えていた。まるでここまで追いかけてくれてありがとうと、そう精一杯に伝えている様に。
私達は進んでいく。水族館を、電車の中を、映画館を、花火会場を、学校を、美しい街を、春色の海を通っていく。そして蠍座のシャンデリアすら潜り抜けて、新しい世界を目指した。
「私、おばあちゃんに謝れるかな」
「……沢山お話を聞かせて。きっと次の世界まで、
欠伸しちゃうくらいに時間があるから」
綺麗な世界が瞬きを繰り返す。零れそうな水を湛えたままにして、やがて巡り来る未来に思いを馳せて、私達は色を見る。神話の薫りに愛を満たしていく。それは空の可能性を知る様に果てしなく、終わり方を知らない絵画の様に偉大だった。新しいデートが始まる。
昇っていく。二人で。
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