2 登校・学校・名前

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2 登校・学校・名前

 次に目覚めた時、私の頭には十四歳の思い出が鮮明に遺っていた。薄く霧がかった風景で詳細は掴めなかったが、胸に浅い痛痒が纏わりついた気分になって、今も浅ましく咲いて枯れてを繰り返している。疲れた面持ちで鋭い鋏を用い、目障りな太い茎を断ち切ろうかと思うと、身勝手な繭糸が溶け出して天蓋を塞がれる。しららかな記憶は改竄を頑なに拒んでいたのだ。 「おーい、早くしないと遅刻しちゃうよ?」  空いた窓から声がはっきりと届く。私は一つに重なった朝日を覗いて、二階から大急ぎで階段を下りた。透明なコップに沈殿した濃い珈琲が机の上に置かれている。飲んだ事も無いのに嫌悪感の味だけは舌先が憶えている。この穢い部屋からの逃避行は一瞬で済んだ。あの子が手を引いてくれたから、他の何も見なくて済んだ。    外界は静寂と甘く戯れている。四方は万華鏡の様に歪んでいて、二人分の道しか正確な舗装はされていない。一方で鯉幟が空を泳いでいたり、猫が誰かの飴細工を盗んでいく様は鮮明に瞳に記録されていく。湾曲と正常が不自由に呻いて暴れている。その中でも一際私の瞳を奪ったのは、天使が纏っている気品ある黒色の制服と薄紫色のランドセルだった。  その私の好奇の視線に気付くと、天使の容態を心配しているのだと勘違いされて、あの時見た柄杓を取り出して穴の淵で何をしていたのかを話してくれた。海に顕れた存在を天使は「スロウ」と呼称しており、ゆっくりと獲物を追いかけ回す事からそう命名したらしい。彼女はスロウと敵対関係にあり、永い間一人で超大変だったよ、と細い腕に力瘤を作って優しく笑った。 「ひとまず水をかけて追い払ったけど、全部じゃないから穴を通ってここにもやって来ると思う。だから早く次の穴を見つけて、あなたの記憶を取り戻しながら逃げないといけないの」 「だから早歩きで進んでいるのね」 「本当は飛べたらいいんだけど、あなたを乗せるには脆い翼だから」
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