2 登校・学校・名前

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 有り得ない程に純粋な声色に嘘は無いと思う。それでも私が天使の全てを信じ切れない理由は、きっと取るに足らない小さな不満の積み重ね故なのだろう。勝手に落とされて、何食わぬ顔で戻ってきて、私の視線の意図を誤解されて、何の事情も教えてくれない。  水底に映る下弦の月を掴もうとする駄犬になった気分だった。今繋いでいるこの手を離せば、また辛苦を付与した孤独がやってくるのかも知れない。この悩ましさを見て見ぬふりしようとしても繭糸は既に絡みついていて、それを切る為の鋏は呆気なく壊した後だった。    寂れたバス停を横切って二人だけの登校は続く。制服に付着した小さな汗が天使の肌へと流れる。懸命に進む天使はその水滴に気付かない。風穴の空いた公園と廃墟の家々が慎ましくそこで息をしている。寂れた線路に涼風が張り付き、静かに輝いた水溜まりが厚かましく存在を主張する。今見ている世界は寝息を立てた私の夢なのかも、と安易な発想に逃げようとしても、やはりあの子の熱からは逃げられない。    一歩進む度に古い未知を得ていく。少しずつ「何か」を取り戻していく、気だけしている。十四歳の私が見た景色とは違う汚れた街並みは、天使の姿が重なって初めて輝いて価値を持つ。早く全てを思い出したいと願う気持ちの裏側に剥き出しの弱い自己が居る。あの時の落下とは別種の恐怖が動揺となって繋いだ掌に象られる。一つの問いを口にするまでに情けない葛藤が私の全身で渦巻いて戦っていた。 「どうして、私と一緒に居てくれるの?」    天使は空を見上げている。ランドセルも白い翼も此方を向いているのに、中身は曝け出してくれない。本当に私を迎えに来たというのなら、その全てを曇りなく信じ切らせて欲しい。早く心の防波堤を破壊してくれと、ただ強く願っている。 「力になりたいから、助けたいから、此処に居るんだよ」
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