5人が本棚に入れています
本棚に追加
焦って天使を手繰り寄せようとして発せられた言葉は上擦っていて、酷く不格好で何処までも頼りなかった。早口で捲し立てて会話を終わらせながら思わず顔を覆う。まだ出会って数時間の人間にそんな重大な事を任せられる訳が無いのは判り切っている。それでも言葉が漏電してしまった理由からは逃げたくない。沸騰した血液が体温を掻き消す。天使は唇を震わせて、頬を純粋な朱色に染めた。私は求められていたのだ。あの子に、その続きを。
「おしえて、わたしのなまえ」
「……あなたの名前は」
最後まで紡がれる前に、有り得ない程の異音が私達の耳を劈いた。前を向き直すと人智を超越した大男が教室から勢いよく飛び出してきた。二メートルは超える巨体と武骨なアイアンハンマーがその殺傷力の高さをこれでもかと見せつけている。顔には夥しい傷跡が残っていて、威圧する咆哮は言語を持たぬ獣の様相だった。左手の薬指には天使と同じ指輪がついている。待ち伏せされていたと私が気付くのと、天使が手を握り直したのは同時で、判断は一瞬だった。
「スロウだ! 逃げるよ!」
階段を駆け下りて二階の廊下を走っていく。ハンマーを引き摺る金属音が背後で鳴っている。相手の移動速度は遅く、このまま走れば絶対に追いつかれないだろう。だが穴が見つからない以上この追いかけっこは延々と続く。それにあの緩慢なスロウが校舎の三階まで来ているという事は、他のスロウも近くに忍び寄っている可能性が高いという事だ。仮に挟み撃ちに遭えば敗北を辿るのは私達だった。事態の把握に伴ってその深刻さに頭を抱えたくなる。
「どうしよう……」
空は曇天を纏い始めて汚れた街に影を作り出している。校舎を出るべきか、何処に行けばいいのか、何も分からない。砂浜に居た時と同じで私は彷徨っていた。等間隔に並んだ蛍光灯の明滅が乱雑に溶ける。
恐怖が、呼吸が、震えが、私をまた襲おうと牙を――。
最初のコメントを投稿しよう!