1 砂浜・邂逅・天使

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1 砂浜・邂逅・天使

 春色の海が凪いでいた。適温に近い外界と美しい四つの満月が淡いグラデーションで背筋を伸ばしている。その鮮やかに奇を衒う多彩に満ちた世界で、私はただ彷徨っていた。  無自覚ばかりが鼻腔を通って肺を動かし、そして外へと巡っていく。蠍座(さそりざ)のシャンデリアと疲労に魅入られて私は遂に砂浜に腰を下ろした。永遠に近い時を歩いた様にも思えるし、一歩も進んでいない気もする。白いワンピースと素足の踵に砂が染みる。軽率な怠惰が眠気を運んでは硬化した脳に蜂蜜を垂らす。睡魔が爪を立てるまで、時は静かに嗤っている。 「おーい、迎えに来たよ!」    頭の中に快活な声が芽吹いた刹那、喉の苗床が腐って言葉が紡げなくなる感覚に陥った。体を起こし、背後の影に焦点を合わせる。私は瞳を困惑で埋め尽くされる心地になった。脳のシナプスが焼き切れる程の綺麗な夢想が眼前で跳ね踊っていたのだ。その夢想は白髪と白羽を携えた天使の形を象っていて、彼女の様子を反映する様に光輪まで朗らかに照っている。私が座っている、二十メートル後ろで。 「……顔が見えづらいから、こっちに来てくれない?」 「私、お水が苦手なの! だからその水槽から離れて欲しいな」    天使は醒めた夜半の中で手招きをする。背中側についた砂を払い、急かれる意思を潰して手堅くゆっくりと招かれる。一歩進む度に新たな発見に身を焦がされる。白いワンピース、長い睫毛、左手の薬指と右手の小指に嵌められた指輪、柔和な表情、色白く透き通った肌。  私は天使に近づく度に、その都合よさに頭を蕩かされた。神経の命令系統へと流れる情念と淑やかな安堵から来る、私の為に生まれた希望だと錯覚する様な、自分の名前すら知らない私の楔と成れる様な、曖昧な快に心揺れる。 「どうしたの?」
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