その言葉たちは未来で芽吹く

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 翌日、一色は封筒を手に俺の前に現れた。  手紙に書かれていたのは、一色による飾らない言葉たち。文章としての美しさがないかわりにとにかく勢いがあり、手紙を書き慣れていない者が懸命に想いを綴ったのだとわかる代物だった。溢れてくる感情を、四苦八苦しながらもそのまま文字にした……そんな彼の昨夜の様子が目に浮かび、微笑ましい気持ちになる。  読み終えた俺は、便箋を再び封筒に戻す。そして、それを一色に返した。 「ありがとな、一色」 「……ダメってこと?」  封筒を受け取りながら不安そうに瞳を揺らす相手に、俺は否定も肯定もせず曖昧に微笑む。  初めて書いた手紙、しかもラブレターを目の前で本人に読まれるなんて相当恥ずかしかっただろうに、耐えて待ってくれていたことをまずはちゃんと労いたかった。 「手紙はなんにも駄目じゃない。俺のこといっぱい考えて、時間かけて書いてくれたんだろ? それについては本当に嬉しいよ。……本当に」  本心からそう伝えると、一色は照れと喜びが混ざった、それでいて次に何を言われるのか緊張しているような、随分と複雑な表情でこちらをじっ、と見つめてきた。ほんとに、タッパがあるだけの素直で可愛い少年なんだよなぁ、と俺は内心で苦笑する。 「でも、やっぱり今の俺は、お前に可能性しか示してやれないんだよ」  できることなら、生徒には笑っていてほしいのだけれど。今回は、できないことだから仕方がない。 「お前が二十歳になってもまだ俺を想ってくれてたら、その手紙を持って会いに来てくれ。その時、今と同じ気持ちで手紙を読み上げられれば、お前のことちゃんと考えてやる」 「は? ……いや、ええと、待って、なんで二十歳なの?」  混乱している一色の聞きたいことを汲み取り、補足する言葉を付け足す。 「確かに、今の成人は十八歳だが、俺は酒が飲めない年齢のやつと恋愛する気はないんだよ」 「えええ……。今オレ十七だから、あと三年もあるじゃん」  そう、俺が思いついたのは、(てい)の良い断り方ランキングで上位に食い込んでくるであろう方法。とにかく時間をおいて相手の心変わりを待とう作戦、である。  子供特有の勘違いだろう、と決めつけて誤魔化すのは真剣な相手に失礼な態度だし、既に恋人がいるから、などと嘘をつくのは単純に俺が嫌だった。男同士だから、と断るのもかなりセンシティブな問題に足を突っ込むことになるし、これについてはバイである俺としても口にしたくない言い訳だ。  だからこそ、ひとまず待て、を実行することにした。 「本当に本気だっていうなら、その気持ちを三年後の俺に届けにこいよ」  一色にとってはかなりひどいことを提案している自覚はある。だが、俺としては最大限の譲歩だった。  彼が自分の生徒である限り絶対に恋愛対象として見ることはできないし、改正された法では成人として認められることになったとしても、酒も飲めない二十歳未満の少年を大人として扱うことにはどうしても抵抗がある。  俺が教師で、こいつよりも七歳も年上の大人だからこそ、この境界線は譲れなかった。なので、こちらとしては、境界線を越えた先で待つ、としか言えないのだ。  俺の言葉を反芻しているのか、なにかを考える様子で沈黙していた一色は、少しして視線をこちらに戻してきた。予想していたよりも不満や動揺が見られないことに、驚きと同時に安堵を感じる。 「……ねぇ、ごっちゃん」 「後藤先生、な」 「後藤せんせー。要するに、オレが生徒で酒も飲めない未成年だから、恋愛対象にできないって話なんだよね?」 「ああ」  うーん、うん……、と納得したような納得していないような微妙な頷きをしてから、彼は質問という名の願いを投げてきた。 「三年、待つってオレが決めたら、先生はその間、恋人作らずにいてくれる?」  約束はできない。そう返そうとしたものの、さすがに一色に対して不平等すぎるか、と思い直す。どうせ仕事が忙しくて恋愛相手を探す暇も気力もないだろうし、まぁ大丈夫だろう。  相手を待たせるなら、自分もちゃんと待ってやらないと。たとえそれが無駄になったとしても、俺としてはなにも問題がなかった。 「そうだな。約束する」 「……わかった。じゃあオレ、二十歳の誕生日まで待つよ」  決意の表情でこちらの言い分を承諾した一色は、自分の誕生日を言い残してその場から去っていった。  彼の背中を見送ったあと、どっ、と疲れが出た俺は近くにあった椅子によろよろと座り込む。内心、ずっとハラハラしていたのだ。うまくいって、本当に良かった。  明日から、とにかく不自然にはならないように接する、という難題は残っている。まだあと二ヶ月は、彼の担任だ。それに、学年が上がってからも国語の授業は受け持つことになるかもしれない。新米枠である俺は受験生となる一色のクラス担任からは外れるだろうが、顔を合わせる頻度が低くなるだけで会わなくなるわけではないのだから。 「でもまぁ、これで大丈夫だろ」  教師と生徒は、絶対に恋人同士にはなれない。これは、まっとうな大人であれば当たり前の感覚だ。己の感情に向き合うまでもなく、答えは拒否一択となる。けれど、その正論だけで恋心を制御しろというのは、十代の学生にはなかなかに酷なことだろう。  だから、現時点で絶対に無理な理由が無理ではなくなる瞬間、まで返答期限を延ばしたのだ。 「ずるい大人でごめんな、一色」  これが教師である自分にできる最善の方法だったと信じているが、さすがに心は痛む。結局、誤魔化しているのと同じようなものだ。  どうせ、三年も経ったら目が覚める。俺はそう思っているんだから。  今は本気で俺のことを想ってくれていたとしても、高校を卒業して自分の世界が広がれば何かしらの心の変化は訪れるだろう。進学するにしろ就職するにしろ、俺より魅力的な人間に出会う機会は山ほどある。  今は、家族以外の頼れる大人が教師しかいないから、強い感情の矛先がこちらに向いているだけだろう。さすがに彼の気持ちを、錯覚や勘違いだとは思わない。けれど、より魅力のある者に心はうつろうものだ。  子供だから見縊っている、というわけではないが、大人だからこそわかることもある。  それに、一番熱をあげているときに書き記した激情を、年を重ねてから同じ気持ちで読み上げることはかなり難しい。むしろ、苦痛を伴う行為だろう。三年も経たずに破り捨てられてしまうかもしれない。 「……あの手紙、ほんとに良かったなぁ」  拙くて、青くて、愚直で、でもキラキラしていた。  もう二度と読むことはできないかもしれない言葉たちを脳裏に思い浮かべる。いっそ、コピーでも取ればよかった。  二十歳になった一色が、その頃には二十七歳のアラサーになっている俺のところにわざわざ会いにくることはないだろう。三年後、彼と再会する可能性は極めて低い。そう考えながらも、一応約束は約束だから、とスマホ内のカレンダーアプリを開いて一色の誕生日を書き加える。  当日は酒でも飲みながら、そんなこともあったなぁ、とひとり懐かしむ心積もりで、俺は一色が卒業するまで一貫して教師として接し続けた。
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