アムンゼン 7

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 「…オマエ…リンが好きなんじゃ、なかったのか?…」  私は、言った…  「…それは、好きですよ…」  「…でも、オマエの話を聞くと、どこか、他人行儀というか…リンと距離を置いているように、聞こえてな…」  「…それは、当たり前ですよ…」  「…どうして、当たり前なんだ?…」  「…矢田さん、ボクは、こう見えても、30歳です…」  「…それは、知ってるさ…」  「…つまり、そういうことです…」  「…そういうことって、どういうことだ?…」  「…つまり、むやみに、恋に憧れる中学生や高校生ではないということです…」  「…どういう意味だ?…」  「…若ければ、例えば、ルックスが良ければ、無条件で憧れます…でも、30歳にも、なれば、実際の性格は、どうなのか? とか、年収は? とか、どんなご両親の元で、育ったのか? とか、色々、気にするものです…」  「…そうか?…」  「…だから、考えるんです?…」  「…考える? …なにを、だ?…」  「…葉敬さんの狙いを、です…矢田さんに、リンの面倒を見させる狙いを、です…」  アムンゼンが、指摘する…  私は、それを、聞いて、思った…  このアムンゼン…  いや、  アラブの至宝…  リンに夢中だと、聞いたが、事実は、違うかも、しれん…  リンに夢中と、思わせているだけかも、しれん…  なにしろ、アラブの至宝だ…  常人とは、違う…  この矢田に、そんなに簡単に自分の考えを読ませるわけがない…  そう、思った…  そう、思ったのだ…  だから、  「…でも、アムンゼン…オマエ、リンが好きなんだろ?…」  と、言ってやった…  直球で、聞いてやった…  すると、あっけなく、  「…それは、好きですよ…」  と、アムンゼンが、肯定した…  「…それは、特に、ボクのような背の低い男は、たぶん、いっしょですよ…」  「…なにが、いっしょなんだ?…」  「…背の低い男は、背の高い女に憧れる…背の低い女も、また同じ…背の高い男に憧れる…要するに、ないものねだりです…自分にないものだから、それを持つ、相手に憧れる…そんなところです…」  「…」  「…これは、身長を例に挙げましたが、顔も同じ…ルックスの良くない男や女ほど、ルックスにこだわる者が、多かったりするものです…だから、このオスマンは、長身で、イケメンだから、女性にモテモテですが、このオスマンをチヤホヤする女性に、美人は、少ない…」  「…オジサン…それは…」  オスマンが、抗議する…  「…でも、事実だろ?…」  と、アムンゼン…  「…それは、ボクの口からは…」  オスマンが、しどろもどろになった…  私は、それを見て、吹き出しそうになった…  小人症のアムンゼンが、甥の長身でイケメンのオスマンをいじっているのだが、オスマンは、反論できない…  アムンゼンに逆らうことが、できない…  この姿を見て、あらためて、このアムンゼンと、オスマンの関係を考えた…  考えたのだ…  そして、思った…  「…それは、そうと…アムンゼン…オマエ、どうするんだ?…」  と、私は、アムンゼンに聞いた…  「…どうするって、なにを、です…矢田さん?…」  と、アムンゼン…  「…いや、リンが来日したら、アムンゼン、オマエもリンと会いたいだろ?…」  「…それは、もちろんです…」  「…だったら、どういう立場で、会うんだ?…」  「…どういう立場というと?…」  「…オマエは、バカか?…」  「…なにが、バカなんですか?…」  アムンゼンが、血相を変えた…  アラブの至宝が、血相を変えた…  「…仮に、私が、リンをオマエに紹介するとするだろ? そのときに、どういう肩書で、リンと会うかだ…まさか、オマエが、サウジアラビアの王族と名乗るわけには、いかんだろ?…」  「…それは…」  「…そもそも、オマエがサウジアラビアの王族と名乗れば、どうして、この矢田が、そんな偉い人間と知り合えたのか、疑問を持つに決まっているさ…」  「…だったら、ボクはどうすれば?…」  「…そうだな…マリアの友達とでも、言えばいいさ…同じ保育園に通う友達とでも、いえばいいさ…」  「…マリアの友達?…」  「…不服か?…」  「…いえ、不服では…」  「…だったら、それで、いいだろ?…」  私が、言うと、  「…プッ!…」  と、オスマンが、吹き出した…  「…な、なんだ? …なにが、おかしい? …オスマン?…」  「…いえ、オジサンは、まるで、矢田さんの前では、形無しだと…」  「…」  「…オジサンの権威は、アラブ諸国では、比類がない…誰もが、オジサンに、ひれ伏す…それが、この日本では、矢田さんに滅法弱い…だから、それを、考えると…」  オスマンが、苦笑する…  私は、驚いて、アムンゼンを見た…  この小人症のアムンゼンを驚いて、見た…  誰が、見ても、3歳児にしか、見えないアムンゼンを見た…  そして、言って、やった…  「…オマエ…そんなに、偉いのか?…」  と、言ってやった…  「…それは、もちろん…」  アムンゼンが、当たり前のように、言う…  「…矢田さんが、サウジアラビアでの、ボクの姿を見れば、卒倒しますよ…」  「…卒倒だと?…」  「…ボクは、サウジアラビアのみならず、アラブ世界では、日本の天皇陛下より、偉いんです…」  「…なんだと?…」  思わず、言った…  つい、口に出した…  たしかに、このアムンゼンの言うことは、間違ってないかも、しれん…  ウソは、ないかも、しれん…  だが、  今現在、この矢田の目の前にいるのは、3歳にしか、見えんガキ…  3歳にしか、見えん、肌の浅黒い生意気なガキだった…  クソ生意気なガキだったのだ…  だから、どこを、どう見ても、偉くは、見えんかった…  この矢田より、偉くは、見えんかった…  が、  しかし、世の中、そういうものだろう…  このアムンゼンは、極端な例としても、例えば、街中で、偶然、誰かと、トラブルになったりして、後に、そのひとが、どこかの会社のお偉いさんだったり、すれば、仰天するものだ…  つまりは、初対面で、誰が、どう見ても、偉くもなんとも、見えない人間が、実は、偉かった例など、世間には、枚挙にいとまがないだろうということだ…  だから、別に、アムンゼンが、おかしいわけでも、なんでもない…  ただ、やはり、現実問題、目の前に3歳にしか、見えんガキがいて、それが、実は、30歳で、しかも、サウジアラビアの王族…  さらに、アラブの至宝と呼ばれ、その頭脳が、アラブ世界でも、類を見ないほどの頭脳の持ち主だと、聞いても、誰も、ピンとこない…  そういうことだ…  私は、思った…  思ったのだ…  そして、家に帰って、その日のことを、夫の葉尊と話した…  夕食を食べながら、話した…  私は、当たり前だが、結婚している…  私は、人妻…  なぜ、今さら、そんなことを、言うのか?  実は、この物語の中では、私が、人妻であることを、照明するシーンが少ないからだ…  だから、読み進めると、この私が、独身のように、見えるからだ…  だが、それは、間違い…  とんでもない、間違いだ(苦笑)…  私は、豪華マンションに住んでいる…  葉尊の父、葉敬が、私たち夫婦に譲ってくれたのだ…  以前は、葉敬は、このマンションに住んで、日本に滞在したときは、このマンションに住んでいた…  葉敬は、台湾の実業家…  台湾屈指の財界人だ…  台湾で、葉敬の名前を知らない者は、皆無…  誰もいない…  台湾では、立志伝中の人物だ…  不謹慎だが、正直、亡くなれば、台湾の教科書に載るだろう…  日本で言えば、三井創業者や、三菱創業者に匹敵する…  あるいは、松下幸之助だ…  それほども大人物だ…  にもかかわらず、なぜか、私は、その大人物に気に入られている…  その証拠に、私と、息子の葉尊との結婚を、承諾してくれた…  快く、許してくれた…  だから、私にとっては、文字通りの大恩人…  ハッキリ言って、お義父さんのいる方向に、足を向けて、寝られない…  それほどの、私にとっての大恩人だった…  その大恩人が、今度、リンを連れて、来日する…  しかしながら、それを、聞いたのは、目の前の夫の葉尊のもう一人の人格である、葉問から…  お義父さんからは、なにも、聞いてない…  だが、それでも、おそらく、あのアムンゼンもまた、その情報を、どこからか、得て、私に接触したに、決まっている…  アムンゼンの真の目的は、なにか?  私には、わからない…  たしかに、あのアムンゼンは、リンを好きなのかもしれない…  だが、決して、それだけでは、ないだろう…  あのアムンゼンは、私利私欲に走る人間では、ない…  仮に、リンを好きだとしても、なにか、別の目的があるに決まっている…  だが、その目的がわからない…  おそらくは、サウジアラビアに対する、ことなのかも、しれん…  あのアムンゼンは、国士…  今、現在、この日本では、口にすることもないが、まぎれもなく、国士だった…  常に、国のことを、第一に考える男だった…  国=サウジアラビアのことを、第一に考えている男だ…  その証拠に、あのアムンゼンが、通う保育園…  あの保育園は、日本に滞在する、世界中のセレブの子弟たちが、通う保育園…  つまり、あの保育園に通うことで、この日本にいながら、世界中のセレブの子弟たちと、知り合うことができる…  そして、当たり前だが、そのセレブの子弟たちを、親が、送り迎えしている…  それを、見て、例えば、誰それの親と誰それの親が、親しくしているのを、見れば、なにか、わかるかも、しれん…  例えば、企業で言えば、合併とか…  互いに、世界的な企業の創業者の一族であれば、後で、  …ああ、だから、仲が良かったのか!…  と、気付いたりするものだ…  政治も同じ…  何国の大使と何国の大使が、仲良くなって、後に、  …なんとか、共同宣言とか…  出したりする…  それを、見て、だから、仲が良かったのか?  と、納得したりするものだ…  だから、アムンゼンは、ホントは、30歳なのだが、3歳児のフリをして、あの保育園で、必死になって、情報活動に従事している…  なにか、祖国=サウジアラビアに関係する情報が、ありは、しないか、探している…  だから、国士…  国士=愛国者なのだ…  私は、そんなことを、考えながら、葉尊と、食事を摂った…  葉尊は、原則、朝夕の二食は、家で、私と一緒に、食事を摂る…  夫婦なのだから、当たり前だ…  もちろん、夫婦といえども、別人格…  だから、言っていいことと、悪いことがある…  話していいことと、悪いことがある…  だから、実は、詳しい話はしない…  しかしながら、私が、アムンゼンと親しいことは、夫もわかっている…  夫の葉尊もわかっている…  だから、やんわりと、  「…実は、今日の昼間、アムンゼンと、会ってな…」  と、いうところから、話し出した…  「…殿下とですか?…」  「…そうさ…」  「…アイツ、台湾のチアガールのリンとかいう女のファンで、今度、会わせてやると、約束したのさ…」  私が、言うと、葉尊の顔色が変わった…  明らかに一変した…                <続く>
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