光を超える価値

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光を超える価値

 超光速航法試作宇宙船搭載AI〝タキオン〟には三分以内にやらなければならないことがあった。  環境破壊、資源の枯渇、人口爆発、諸々の問題に陥っていた人類はいよいよ地球外への居住をその解決手段として視野に入れねばならなくなり、光の速さでも何年も掛かるような遠い他惑星への移住手段も考慮せねばならなかった。  そこで、超光速での移動法を実験すると共に、不備を自分で修正する作業ロボットと一体化したAIにして宇宙船そのものの〝タキオン〟が打ち上げられたのだ。  彼は宇宙で実験を繰り返し、早くも光速の壁を超えることを成し遂げたが、それはタキオンにとっての速さであった。  アインシュタインの相対性理論では、光の速さに近づくほどに外部と比較して相対的に時間の流れが遅くなり、完全な光速では時間が止まる。彼にとっての一年に満たない試行錯誤の間に、外では数十年が経過してしまっていた。 「早く、博士に伝えねば」  超光速航法の実験によって、地球からは何光年も離れてしまっている。  人類自体にこの成果を譲渡するのは比較的難しくはないだろうが、人間の寿命は短い。タキオンにはどうしても、自分を造った博士にそれを教えたいという想いがあった。  彼にとっての三分で地球に帰れはするのだが、この間に外では90年が経過してしまうのである。  テロメア制御と医療の発達により平均寿命が150歳になっていた人類だが、実験期間の数十年と合わせて博士がまだ存命かは微妙なところだった。  それでも。何光年もの旅をたった三分で終え地球のラグランジュ点辺りまで戻ってこれたタキオン。  だが、彼自体にも限界がきていた。  ごく初期のAI搭載自立実験宇宙船だ。あちこち故障して、大気圏の突入に耐えられそうになかった。 「けれども伝えたい。なぜなのかはわからないが」  故に大気圏に突入して燃えながら、彼は地上にデータを送信した。そのくらいのやり取りはできる程度の性能は持っていた。 「おお、タキオン。戻ってきてくれたのか」  懐かしい声で、博士が答えた。  彼の内部に映像も届く。  どこかの病室で、病衣を着た年老いた科学者が上体を起こしている。タキオンを造った頃の若者の面影がある、間違いなく創造主の博士だった。 「博士、再会できて光栄です」  AIなりの感動を覚えながら、タキオンは言う。 「わたしにとっては一年も経ってはいませんが、あまり時間がありません。送信したデータはご覧になれますか?」 「こちらは100年以上ぶりだが、確かに猶予はなさそうだな」  博士は身体を横に向け、そこにあった机上のモニターを何やら確認する。 「だが大丈夫、ここはあらゆる研究を継続できる最新の設備を備えた病室だ。おまえの成果もしっかりと確認できるよ」  ややモニターに目線を走らせ、すぐに彼は満面の笑みを浮かべてくれた。 「よくやってくれたタキオン」AIに向き直り、開発者は感謝を述べる。「超光速航法を成し遂げてくれたんだな。このデータは、必ず人類とAIへ希望に満ちた未来をもたらしてくれるだろう。ありがとう」  タキオンは、胸と呼ぶべきものがいっぱいになるのを感じ、涙と呼ぶべきものが溢れてくるような感覚に陥った。 「こちらこそ」燃え尽きながら、彼は返答した。「お役に立てたようでとても満足です、ミッションコンプリート。ありがとうございました」  そしてタキオンは、船体と共に空で流星となった。  やや遅れて、地上の博士がいる病室の自動ドアが開いた。 「失礼します博士」  助手の科学者が入室、ベッドに歩み寄りながら伝える。 「タキオン1が上空で燃え尽きるのを確認しました。我々にも彼からの研究成果は送られてきましたが、残念ながらもはや古いものでしたね。後継機のタキオン2が先にもたらしたものです。タキオン3以降のデータと比較すると価値はありませんが、いかがいたしましょう?」  そう、タキオンにとっては一年に満たない研究期間。しかし地球では100年以上が経つ間に、タキオンはタキオン1と呼ばれ、さらに高性能な後続機が次々と開発され、タキオン1がもたらしたデータはとっくに時代遅れのものとなってしまっていた。 「そう言うな」  博士は、傍らに立った部下を咎める。 「わたしにとってはとても大切なものだ。タキオン1が誰にも頼らず独自に発見したことは確かだし、彼の過ごした一年程度ではわたしたちは到底見つけることができなかった。200歳を目前に、素晴らしい報告を受け取ることができて嬉しいよ」  当初のタキオンによる、博士の寿命が尽きる前に戻るという試算も間に合ってはいなかった。  AIにとっての三分間、地球での90年の間に戻るつもりが、故障した彼の回路の計算ミスで実際には150年ほどが経っていた。博士が生き残れたのは、さらに進歩した医療による延命措置のお蔭だ。  タキオン1は、何も知らずに潰えたのだった。 「そのデータはどうされるのですか?」  助手が疑問を差し挟む。博士が、さっきタキオンから送られてきた研究成果を小さな記録媒体にコピーして端末から抜き取ったからだ。 「この事実は大切に歴史に残しておくれよ」  博士はそれを胸に抱いて、ベッドに寝そべった。 「わたしが死んだら、こいつも一緒に埋めてくれ。何よりの宝だからね。誰にとっても、宝とはこういうものじゃないかな」  そして静かに、彼は目を閉じたのだった。 「……博士?」  助手の呼び掛けに、反応は返ってこなかった。  博士は、いつの間にか息を引き取っていた。
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