第4話

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801c36d2-34f3-4adb-908b-6d7e178f5e68  約1時間後の午前11時半。  酒精が抜けきらない二人だが、シャワーを浴びた後に、鳴海が入れてくれた熱い緑茶を飲んだら多少すっきりしたようだ。 「来てもらっておいてなんだが、こんな時間に大丈夫だったのか?」  桐嶋が念のための確認をした。 「大丈夫っすよ。今は大きなイベントごともないし、要人来日とかもないので、主に情報収集をおこなっている時期ですから。逆になにか仕事にからむ情報をもらえるかもしれないと目論んでるとこっす」 「ちゃっかりしてるなぁ」  鳴海の所属する警視庁公安部外事四課は特殊な部署だ。  他の課は、明確に特定国に対応するための課だが、四課だけは「国際テロ対策」が主要任務となっている。  といっても、ドラマのように外国で銃をバンバンなんてことはありえず、国際テロに関する情報収集・分析とテロ未然防止のための捜査活動が主だ。所属員は90人以上いるといわれているが、正確な数は不明で詳細な活動内容も不明の部署だ。 「倉橋、ちゃんと録音できてた?」  桐嶋は、昨晩から今朝にかけての様々な話を倉橋に録音依頼していた。 「大丈夫です。今、文字起こしも終わりましたので、要約したのをタブレットにだしますね」 「こういうのは生成AI様々だねぇ」 「ホント、便利な世の中です」 「じゃあ、先に目を通しますので、その後に状況説明よろしくっす」 「ああ、そうしよう」  鳴海が読み終わるのを待っている間、桐嶋は惨状を片付けていく。倉橋は昼食用のパスタを準備しているようだ。 「OKっす」 「じゃあ、実際の絵を見ながら話をしようか」 「その方がいいっすね」  二人は保管庫に向かっていった。  倉橋はテーブルの上を掃除して、桐嶋の片付けの続きもおこなっていた。  もしあの惨状を藤堂が見たらどんなひどい目にあわされるか考えた結果でもある。ついでに、タブレットに表示していた内容をPDF化して藤堂にメールしておいた。  やがて二人が戻ってきたときは、テーブルの上に立派な昼食がのっていた。  人数分のトマトソースパスタとオレンジジュース、三人分にしては多めのサラダと昨晩の残りのチーズ。まるで深夜の激論など嘘のような光景だった。 「倉橋さんって、本当こういうことの手際いいっすよね。職間違えたんじゃないすか?」 「そんなことないだろ。あるもんで適当に作っただけさ」  まんざらでもないのは表情を見ればわかる。桐嶋はその表情を見てありがたみを感じたが食欲が勝ったようだ。 「いただきます」  三人が口を揃えて言うと、静かだった部屋に箸やフォークの音が響き始めた。二日酔いが覚めてくると腹が減るのは当然のこと。サラダから攻めて胃が多少すっきりしたところでパスタにとりかかる。酸味のあるトマトソースが、疲れた胃に心地よい刺激を与えた。 「食べながらで申し訳ないっすけど、すごく疑問に思ったことが」  鳴海の声に、桐嶋と倉橋は顔を上げた。 「あの絵、どこから来たっすか?」 「そりゃ、鷺沼氏が持ち込んで・・・あ・・・いや・・・そうか!」  桐嶋と倉橋は椅子から立ち上がらんばかりに驚いた。その反応に、鳴海は満足げな表情を浮かべる。 「ですです。あんなヤバそうなもの、税関で止められますって。あとで本庁に戻ったら鷺沼氏の来日記録や税関記録を確認しますけど、手持ちで入国できたはずがないっすよ。もしかしたら正式な輸入手続きをして持ち込んだ可能性はありますけど、レゾネにも載っていないようなクリムト作品を資産価値も計らずに持ち込めるほど日本の税関は甘くないっすよ?」  鳴海の指摘は的確だった。桐嶋は頭を抱えた。自分の不注意さへの後悔が仕草に滲んでいた。 「これは盲点だった・・・」 「言われてみればその通りだ。最初に来歴を疑ったはずなのに、現物が手元にきてからは疑ったことすら忘れてた」  倉橋も自分の不注意を認めざるを得なかった。 「本当です。本来であればそこから考えなければいけないものでした。人のこと言えないですけど、クリムトの未発見かもしれない真作という事実に舞い上がっていました」 「ふふふん。二人を驚かせるのは気分いいっすね」  鳴海の顔には、満足気な笑みが浮かんでいた。 「状況から考えても元々日本にあった絵だと考えるのが自然だと思うっす。じゃあどこにあったのかというのが今後の問題になるわけですけど」  鳴海の言葉が続きそうなところで、倉橋のスマホから着信音が鳴り響いた。その音は、静かだった地下室に緊張感をもたらした。 「あ、藤堂さんからですね。どうやら赤坂署と協力関係を築いたらしいです」  倉橋の声には、少し緊張が混じっていた。 「協力?強制の間違いだろ」  桐嶋の言葉には、藤堂の性格をよく知る者ならではの皮肉が込められていた。 「おそらくそうでしょうけどね。あ、いやな話が書いてありますね。箇条書きで書いてあるので見てください」  倉橋はそう言うと、テーブルの上にスマホを置いた。三人の視線が、一斉にスマホの画面に集中する。 ・鷺沼氏は病死や自然死ではなく他殺の疑いあり ・詳細は不明だが毒殺の可能性 ・桐嶋への疑いありだがこちらで抑えた ・明日明後日は家族とキャンプなので邪魔したらわかっているだろうな 「最後が一番怖いんですけど」  倉橋の声には、藤堂への畏怖の念が滲んでいた。全員がそう感じたらしく、異口同音に賛同の声が聞こえる。 「ま、まぁ、藤堂はそう言いながらもうまく他者を使ってなにかしら動いていることが多いから」  桐嶋が弁解めいた言葉を二人に投げかけた。このあたりは幼馴染ならではの感覚もあるのだろう。その言葉に、部屋の空気が少し和らいだ。 「鷺沼氏が他殺の疑いというのもかなり気になる。絵がらみ?」  倉橋の声には、不安と興奮が入り混じっていた。 「我々の持っている手札から考えられるのはそれだけっすね。他の可能性も多分にあると思いますが、この件に関する危険レベルが上がったと考えた方がいいと思うっす」  鳴海の分析は冷静だった。その言葉に、三人の表情が引き締まる。 「ところで鳴海、さっきなにか言いかけてなかったか?」  桐嶋の問いかけに、鳴海は腕時計をちらっと確認してから言葉を継いだ。 「そうそう、そうです。どちらかと言えばこちらの方が本題っす。藤堂さんから未発表のクリムト作品というワードを聞いた時にピンときた話があったのですよ。お二人ともコルネリウス・グルリットという名に聞き覚えはないっすか?」 「ドイツの作曲家?」 「おしい!もう一人の方っす」 「あー!!!」  倉橋が突然大声をあげた。その声は地下室に響き渡り、桐嶋と鳴海を驚かせた。 「グルリット事件か!ナチス!退廃芸術!なんで思いつかなかった!」  その叫びによって桐嶋も思い出したようだ。
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