第5話

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df957a62-196d-474e-8621-bf42ec74fd70  一気に静かになった秘密基地内。  二人がいなくなってから、桐嶋は父親のことと、自分自身のことを考えていた。地下室の静寂が、彼の思考をより鮮明にさせる。  親父は10日も店を閉めて別荘でなにをしていたのか。  そのことがどうしても頭から離れない。  店を閉めていたこと自体が問題ではない。来店客はほぼいないし、絵や額を売るために店に商品を陳列していることもなかったからだ。これは今も変わらない。  桐嶋は修復やコンサベーターを主な稼ぎにしているし、たまに依頼された絵を仕入れて販売するくらいだ。だから、店に残っている絵画は、父親死亡時からほぼ変わっていないうえ、在庫全体を把握しているわけでもない。それは価値のあるものがここに残っているとは思っていないからだ。  実際、相続の時も在庫全般が低額評価の烙印を押され、家庭用財産として一括計上されて終わっていた。  正確な資産評価をしたわけではないが、土地は借地、築79年の家屋に資産価値はない。そんな場所に乱雑に置かれた美術品に価値があるはずもないというわけだ。  桐嶋自身もまったくその通りだと思っている。  子供のころに贅沢というものをした覚えがない。  毎月、ギリギリのお金で親子3人暮らしていた記憶しかない。  その母親も桐嶋が4歳の時に亡くなったので、母親の記憶もほとんどない。覚えているのは、スモーキークォーツにも似た、印象的な濃い茶色の瞳だけだ。  「おふくろに似てるのは瞳くらいか。他は親父似だしなあ」  今考えるとウィーン美術アカデミーへの入学意志を示した時の父親の反応は薄かったと思う。渡航費用と1年次の学費だけを負担してもらい、その後は自分でなんとかすると宣言したからかもしれない。  なんなら一人分の生活費が減るから楽になると、あの父親なら考えたとしてもおかしくないくらいだ。  そのくらい桐嶋に対する興味は少ないと感じていた。  だからだろうか。東京から早くでていきたかったし、日本に留まりたくもなかった。  ウィーン美術アカデミーを選択した理由もそこまで大きいものではない。  子供の頃から父親の仕事を見ていたせいで、自分もいつかは同じことをしたいと考えていた。しかし、親は一切その技術や知識を教えてくれなかった。桐嶋が聞いても一切教えてくれない。ある意味徹底していた。  今考えると、自分と同じ職業にはつかせたくなかったのだろうと思う。安定した収入があるわけではないし、親からすれば、ある意味当然のことかもしれない。  ならば自分で絵画修復の技術を学び自得するしかない。日本の学校や絵画修復家に弟子入りすることも考えたが、美術史の本で知ったウィーン美術アカデミーに魅力を感じていた。  なぜならば、ウィーンは、当時傾倒していたエゴン・シーレのお膝元であり、世界最大のシーレ・コレクションをもつレオポルド美術館があるからだ。いつかシーレの作品に携われる日がくるかもしれない。そういう欲があった。  ウィーンに行くのであれば、公用語であるドイツ語を習得しなければ入学することすらできない。だから、高校時代は学校の授業もそっちのけでドイツ語を学んでいた。ただし、ドイツ語教室に通うようなお金はなかったため完全に独学だ。それもドイツ語の教本などではなく、自宅にあったドイツ語の美術史が教科書であり、ラジオで聞こえてくるドイツ語のオペラがヒアリングの教材だった。  英語はウィーンに行ってから覚えた。忙しい毎日ではあったが、日本では考えられないほど充実した日々だった。その間、父親に連絡した覚えがない。特段、話をしたいという気持ちにもならなかったからだ。  そろそろ卒業を考え始める時期に、同じくアカデミーに留学していた2歳下のアメリカ人女性、ソフィア・ローズ・アンダーソンと結婚した際にも連絡はしなかった。  ただ、これはソフィアが両親とすでに死別していたため遠慮したという気持ちもあったかもしれない。  教会での結婚式には、お互いの友人たちと、アメリカからやって来たソフィアの母方の叔母一家だけが参列した。  叔母一家とはこの時に初めて出会った。快活で幸せそうな家族。叔母夫婦と男の子と女の子の兄妹。子供たちには随分と懐かれた記憶がある。  ソフィアがアカデミーを卒業したことを契機に、自分も卒業することにした。アメリカで就職し修復家の道をスタートさせることにしたのだ。在学中にある程度の実績を残していたおかげで就職そのものはスムーズに決まった。  ソフィアがせがむので、アメリカに渡る前に日本に帰国。そこで父親に初めて結婚したことを伝え、妻を紹介した。  言葉少なではあったが大いに祝福されたことを覚えている。あの時は、日本に立ち寄って本当に良かったと思ったもんだ。  その後、アメリカに渡った後もソフィアの希望や就労ビザ更新のタイミングで帰国した際には、必ず顏をだしていた。  しかし、ソフィアが7年前に事故で亡くなってからは実家に戻らなくなった。そして、5年前に親父は死んだ。
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