第6話

3/3
前へ
/52ページ
次へ
63923166-c64c-445d-875a-7aeae0fe2283  現在の時間は、午後5時28分。その時間を確認した直後に藤堂から電話がかかってきた。 「珍しいな。キャンプの最中に電話をよこすなんて」  その言葉には、今回の一連の出来事とは違う、日常の響きがあった。 「たまにはな」  藤堂もそれを察したのか口調が和らぐ。 「奥さんや娘さんたちは?」 「妻は忘れものだとかで近所のスーパーに買い出しにいった。娘たちはなんやかんや言いながら夕食を作ってくれている」 「それはさぞかし賑やかしいだろうなぁ」 「ああ」  電話の奥から笑い声が聞こえる。 「楽しそうだ」 「まぁな。歳頃の娘たちだが、嫌な顔一つせずに、キャンプにつきあってくれるんだから楽しくて来てるのだろうな」 「ありがたいことだな」 「素直にうれしいもんさ」  藤堂の娘たちは、長女14歳、次女12歳、三女9歳の三人。たまに桐嶋が藤堂の家に遊びに行くと、いまだにじゃれついてくる子犬のような愛くるしい娘たちだ。 「それで用件は?」 「ああ、報告書を読んだのでな。いろいろ考えたが、おまえの意思を尊重することにした」 「財団の件?」 「そうだ・・・なぁ、最悪のシナリオも想定しての考えだろうな?」 「財団にナチス関係者として糾弾される可能性か?もしくは拘束される可能性か?」 「どちらともだ」 「当然考えたさ。だがな、どちらにしろ日本の警察に捕まるよりはマシさ。参事官様に言うことじゃないがな」  くぐもった笑いがスマホに伝わる。 「日本という国は好きさ。でもそれは、国家や政府や関連する組織のことじゃあない。歴史や風土、風習といった、直接的な言葉では言い表しにくいものが好きなんだよ。おれに非がない理由で拘束しようとしてくる警察に捕まるくらいなら、アメリカを頼った方がマシさ」 「耳が痛い話だな」  藤堂は、日本の警察組織とアメリカの組織イメージを比較してみた。桐嶋の言葉には一理あるが、反対したい気持ちも強い。だが、今は言う時じゃないと堪えた。 「もう一つ打算的な理由もあるんだ」 「ほう」 「報告書には書いてなかったと思うが、鳴海が言うには、財団のウインストン女史は、修復家としてのおれのファンらしいんだ」 「ファン!?」 「そう。鳴海曰く、熱狂的なファンの部類のように見えたらしい。本当にそうなら悪いようにはならんかなぁと」  藤堂の次の言葉がでてくるまでは多少の時間があった。 「あきれたな。そんなものにすがろうというのか」 「ファンの力もバカにできないぞ。最近で言えば『推し』とでも言うのか。推しの力は無限大・・・らしい。まぁ、鳴海の直感を信じることにしたのさ」 「ああ、それならわかるし納得できる。鳴海の直感は信じるに値する」 「鳴海が板挟みになって苦しい思いをせずにすむから協力する、という一面もあるけどな」 「面会する理由がたくさんだな」 「おかげで心理的防壁を突破する理由に事欠かない」  通話音に風の吹きこむ音が重なった。 「さぁ、そろそろパパに戻るんだな。おれの方は大丈夫だ」 「ああ、わかった。じゃあな」  通話を切ると、桐嶋は鳴海に、ウインストン女史への面会依頼のメールを送った。日時はまかせるが、なるべく早い方が良いという言葉もそえて。  約20分後。軽い食事をとっていると、鳴海からの返信がきた。 『月曜、午後2時。指定の場所に車が待っているので、乗り込んでほしいとのこと。おそらく大使館の車だと思います』 「思ったよりも早いな」  相手もあることだし、てっきり明日以降に返信がくるものと思っていた桐嶋だったが、月曜なら倉橋がまだ休みなので助かると安心した。続けて倉橋に日時のメールをした。 「さて、あとはこいつだな」  食事の後片付けが終わると、桐嶋は保管庫に行き、例の絵の覆いをとった。  そして、先ほどと同じ様に額縁を握る。ほぼ同じ位置。だが、先ほどと違うのは、額縁の裏を探るように指をなぞらせていたことだ。 倉橋と話していた時、溝のようななにかがあると感じていた。 「やはりなにかあるな」  裏にまわり、違和感を感じた箇所を確認する。なにかがあるのはわかるが、色が他と同化していてわかりにくい。  あたりを見渡し、近くの作業机の上にあったルーペを使った。 「あった」  微細な溝だ。軽く見たくらいではわかりにくい。桐嶋のように、指を当てなければわからないくらいの細く浅い溝だった。 「模様?いや、文字か?」  ポケットからメモ帳を取り出し、文字らしき形を一つ一つ書いていく。 「N・・・e・・・かな。んー、tか」  かなりの時間は要したが、おそらく全部書き写した。  すべてを繋げると。  Ne tradideris Aurae Noctis 「英語じゃないな。ドイツ語でもない・・・ラテン語か・・・?」  桐嶋は、額縁に刻まれた不思議な文字列を見つめながら、その意味を考え始めた。ラテン語であることはほぼ間違いない。しかし、その意味は依然として謎に包まれている。  部屋の静寂の中、桐嶋の頭の中では様々な可能性が巡っていた。この文字列は単なる装飾の誤読なのか、それとも何か重要な意味を持つメッセージなのか。そして、もしメッセージだとすれば、誰が、何のために、このような隠された場所に刻んだのか。  桐嶋は深いため息をつきながら、メモ帳に書き写した文字列を何度も見返した。この謎めいた文字列が、絵画の真の来歴や、鷺沼の死、そして自分の父の死とどのように関連しているのか。それらの謎を解く鍵になるかもしれない。 「これも財団に相談するべきかな・・・」  桐嶋は呟きながら、ウインストン女史との面会に向けて準備を始めた。月曜日の午後。その時が、全ての謎を解く糸口になるかもしれない。桐嶋は静かな決意と期待を胸に、来るべき時を待つことにした。 (第6話 終)
/52ページ

最初のコメントを投稿しよう!

50人が本棚に入れています
本棚に追加