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ニコタマ(二子玉川)のセーフハウス。もとい秘密基地は藤堂のセカンドハウスだった。元々の所有者は違う。藤堂の親戚の知人らしいのだが、どこをどう巡ったかいつのまにか藤堂のものになっていた。その経緯は、まるで迷宮のように複雑で不透明だった。
今も新しいマンションや住宅が建ち続ける二子玉川だが、30年ほど前にその所有者が隠れ家的に造った地下室だ。
広大な土地に5棟のマンションがあり、そのどれからも行くことができる。当然、地下室に行くための扉や通路も一般人やマンション居住者は知る由もなく、地下室の存在を知っている人物だけに限られる。都市の喧騒から隔絶された、まるで別世界のような空間だった。
車で現地まで来た場合でも屋内駐車場から外にでることなくたどり着けるので利便性は高い。10人がストレスなく居住できるほどの広さと設備があり、地下であるために防音性が高いのは言うまでもない。
もしかしたら元の所有者は核シェルターのつもりで建設した地下室だったのかもしれなかった。
秘密基地の電子キーが開錠された音とともに扉が開かれた。その瞬間、地上とは全く異なる空気が倉橋を包み込んだ。
「大変お待たせしました。買い出し部隊隊長、倉橋!参上いたしました!」
「お疲れさん。ありがとな」
「いえいえ、桐嶋さんと藤堂さんのお二人のユニットに混ぜてもらえるだけで光栄です!こちらこそありがとうございます!」
「しっかし大荷物だな」
敬礼した倉橋の足元には、大型のスーツケース1つ、ボストンバッグ1つ、酒とつまみが入っているであろう買い物袋1つ、腰にはシザーバッグ、背中にはバックパックを背負っていた。まるで長期の探検に出かけるかのような装備だった。
「家に帰ってお泊りセットも持ってきたので準備万端ですよ。良いタイミングすぎて笑いがこみあげてきますよ」
勝手知ったるなんとやらで、倉橋は冷蔵庫を開け、持ってきた備蓄品をいそいそと入れ始めた。その動きには、長年の独身生活で培われた手際の良さが感じられた。
「そういえば悠彩堂ですが、いましたよ怪しいのが一人」
「やっぱりいたか」
「20代後半くらいですかね、この暑いのにしっかりスーツを着込んだ男でした。店の前を通ったあと、ぐるっと回って坂下からも確認したので間違いないです。一か所にいて見張っている感じではなく、歩きながらチラチラ見ている感じですね。おれが言うのもなんですが、動きが素人ですね」
「そいつに見つかりはしなかっただろうな」
「おそらく大丈夫です。目線の先には悠彩堂しか写ってなさそうでしたから」
「それならたぶん赤坂署の刑事だよ。白井さんだったかな」
「え?あれで?んー、いろいろやり直した方がいいですね。さて、まずは飲みましょうか」
言葉の最後にはプシュっという音が重なった。倉橋は自分の分も開けながら桐嶋に缶ビールを渡す。冷えたビールの缶から立ち上る霧が、地下室の空気に消えていく。
「再会を祝して」
お互いに掲げた缶ビールを軽く合わせると、桐嶋は半分、倉橋は一気に飲みほし2本目を開け始めた。その仕草には、長年の付き合いから生まれる気安さが感じられた。
「さっそくですが、ここまでの状況をお聞かせください」
「ああ」
桐嶋はここまでの状況と経緯を詳しく説明した。憶測を交えず事実のみを伝えことは情報共有の基本と言える。初動でいらない情報を他者に与えると後々齟齬が大きくなることを桐嶋は知っていた。彼の言葉一つ一つには、長年の経験から培われた慎重さが滲んでいた。
桐嶋が話し終えると倉橋が周囲を見渡しながら確認した。その目は、まるで部屋のどこかに隠された真実を探しているかのようだった。
「で、ブツはどちらに。あ、これがその写真ですね」
倉橋の目線はテーブルの上に無造作に置かれた写真にとまり、そして手にとった。彼の指が写真の表面を軽くなぞる。その動きには、美術品を扱う専門家特有の繊細さがあった。
「確かに。前情報がなければこの傷は剥落に見えなくもないですね」
倉橋は考え込むように眉をひそめながら、写真の隅々まで確認している。その姿は、まるで謎解きに挑む探偵のようだった。
「現物は保管庫ですか?」
「ああ、そうだ」
4年前、桐嶋は藤堂に頼み込んで、ここの一室を絵画の保管庫にさせてもらっていた。空調が完璧で太陽光が入り込まない地下室は絵画の保管に最適と言える。
現在はクリムトの肖像画を含めて13枚の絵が保管されていた。その事実を思い出し、桐嶋は改めてこの場所の重要性を実感した。
「さっそく見せてもらっても」
「そうしよう」
二人は足早に保管庫へ向かった。その足取りには、これから重要な発見があるかもしれないという期待感が表れていた。
保管庫は一番奥の部屋になっている。桐嶋が照明をつけると様々な絵画が壁一面に立てかけられている光景が視界に入った。そして一番手前のイーゼルにクリムトは乗せられていた。LEDの冷たい光の下で、金箔が施された背景が鈍く輝く。
倉橋はルーペを取り出し丹念に確認し始めた。時折写真と見比べながら小一時間ほども見続けていた。その集中力は、まるで時間が止まったかのようだった。部屋の空気は次第に緊張感に満ちていき、桐嶋でさえ、その場の雰囲気に飲み込まれそうになった。
桐嶋は椅子をたぐりよせ、背もたれを前にして腕と顎を乗せた状態で倉橋の姿をぼんやりと見ていた。時計の針が静かに動き、夜が深まっていくのを感じる。
倉橋の目がキャンバスの角を調べている時に桐嶋は口を開いた。その声は、静寂を破るかのように響いた。
「リパーパシングしたと見ているがね、おまえの意見を聞きたい」
倉橋は首だけ動かして桐嶋を見た。その目には、専門家としての鋭い光が宿っていた。
「間違いなくリパーパシングしてますね。ただ、相当古い時期にやってますよ」
「そこまでわかるのか」
「桐嶋さん、また悪いクセを発動させましたね?食う寝る忘れて作品に見とれてたんでしょう?」
桐嶋は首をかしげながら笑みをうかべ、ご明察とばかりに両手を広げた。
「先ほど聞いた情報でも絵そのものに対する情報が妙に少なかったのでだいたいわかりましたよ。最初は先入観を植え付けないようにかなと思いましたが、途中からいやこれは違うなと」
倉橋はシザーバッグからタブレットをとりだしクリムトの写真をとりつつ、気になったことをスタイラスペンで都度記入していく。スタイラスペンがスクリーンをなぞる音が、静かな部屋に響く。
「だいたいわかりましたので、飲みながら話しましょうか」
「ああ」
二人はさきほどのテーブルに戻っていった。
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