0人が本棚に入れています
本棚に追加
5.「冷たいお菓子」(君と 静寂 ゼリー)
元ネタ⇒オノマトペゲーム、 「君と 静寂 ゼリー」より。
私は、ちゃぶ台を挟んで目の間に座った聖人(きよひと)先輩を、ちらちらと盗み見る。
カラスの濡れ羽のような黒髪に、雪みたいな白い肌をした聖人先輩は、冷茶を飲む姿すら、日本人形のように美しい。聖人先輩の着ている品のよさそうな青いシャツは糊が効いてぱりっとしている。
聖人先輩を横目に見て、私は課題に集中しようと頭を振った。
生徒会長を務める聖人先輩と書記の私は、生徒会の先輩と後輩という関係だ。
私が夏休み前のテストで赤点を取ったということを聖人先輩が聞きつけ、聖人先輩自ら勉強を教えてくれることになったのだ。
おじいちゃんが建てた昔ながらの日本家屋に住む私は、畳とちゃぶ台が置かれた茶の間に聖人先輩を招待していた。
茶の間のふすまには、私が小さいころふざけて空けた大きな穴が開いていて、100均の折り紙を貼って穴を隠している。そのうえ小学校の時に書いた画用紙の落書きさえもまだ飾ってある。
ちゃぶ台の上にはおばあちゃんが作った折り紙の造花が飾られている。その造花はよく見るとところどころ皺が寄ってぐちゃっとしていた。
聖人先輩が座っている座布団は、私が赤ちゃんの時におばあちゃんが手縫いで作ってくれた年季物だ。何度も繕っているし、中の綿だってへたってきている。
開け放した縁側からは、風鈴の甲高い音をかき混ぜるように夏の暑い風が吹きこんでくる。お金がないのでクーラーをつける余裕はなく、べたべたとした不快な汗が私の頬を伝っている。
私は先ほどから、暑さと恥ずかしさでめまいがしそうだった。
他の先輩の噂によると、聖人先輩はバラ園のある豪邸に住んでいるという噂だった。それでなくても、成績は3年生の中で1位で、運動も美術も成績優秀な聖人先輩は、私にとって遠い世界の人だった。
私みたいな地味でみすぼらしい女子生徒と釣り合う人ではない。願わくば、 ずっと遠くから客席で聖人先輩の姿を見られるだけでよかったのだ。
*
私は必死で頭を回転させながら数式と向き合った。背筋をただした聖人先輩が、横から私のノートに指を差す。
「晴さん(はるさん)、ここの公式が違いますよ」
「あ、そ、そ、そうですね。全然気づきませんでした」
春の鶯のような聖人先輩の綺麗な声が耳元で響く。ノートを指した指は爪まで光り輝いていて、触れるのがおこがましくなるほどだった。
私は消しゴムでごしごしと数式を消す。そうすると、黒く薄汚れた消しゴムのカスがノートにぽろぽろと散らばった。なんだか、自分と消しゴムのカスが似ているような気がして、私は惨めな気分になってくる。
「少し、疲れているんじゃないですか?晴さん、顔も赤いですし。休憩しましょうか」
そう言って聖人先輩はハンカチで額をぬぐった。
「はい。すみません、気を使ってもらって。…そうだ、母がおやつを用意したって言ってました」
私は急いで台所に立った。台所には仕事で留守にしている母のメモが置いてあった。
『アイス、用意してます』
私はとろけるようなバニラアイスや、チョコレートのいっぱいかかったチョコアイスを想像して、期待に胸を膨らませた。
だが、冷凍庫を開けてがっくりとした。母が用意したのは、100円のミニゼリーだったのだ。手のひらに収まるくらいの小さなカップゼリーで、オレンジとブドウとリンゴの3つの味がある。それが10個くらい袋に入って、100円で売られているやつだ。
私は母に対していら立ちを覚えながら、凍ったミニゼリーをガラスの器に移した。
こんなお菓子、きっと聖人先輩は食べたことないだろう。もっとおしゃれだったり、おいしかったりするお菓子を買って来ればよかった。
私は茶の間にミニゼリーの入った器を持って戻った。私は器をおずおずと聖人先輩の前に差し出した。
「…どうぞ」
と私は蚊の鳴くような声で言った。私は恥ずかしさのあまりうつむいてしまう。顔を下に向けているので聖人先輩の表情は伺えなかった。
「あ、ミニゼリーですね」
そう弾んだ声が聞こえて、私は顔を上げた。聖人先輩はりんご味のミニゼリーを手に取ると、力を込めてラベルを剥がそうとする。
「これ、凍ってるとなかなかラベルが剥がれないんですよね。ははは…あ、開いた開いた」
聖人先輩はおいしそうにミニゼリーをほおばっている。私はきょとんとして、聖人先輩の顔を見た。聖人先輩は私の視線に気づくと、
少し顔を赤らめた。
「あ、すみません。僕ばっかり食べちゃって」
「いいえ…お好きなんですか?」
「はい。安いし、おいしいし、凍らせてるとアイスの替わりになりますよね。小さいから数を食べてもカロリー的に問題がないのも嬉しいです」
私は饒舌な聖人先輩におかしさを感じる。そういうと、聖人先輩は私の手にミニゼリーを乗せた。私の中から、母へのいら立ちが解けるように消えていく。
「聖人先輩がこういうものを食べるなんて驚きました」
「え?」
「だって、豪邸に住んでるって噂だから」
聖人先輩は困ったように眉根を寄せた。
「それはただのデマですよ。僕が住んでるのは普通の一軒家です」
「そうなんですか?」
「はい」
聖人先輩は2個目のゼリーに手を伸ばすと、顔を綻ばせてラベルを剥がしている。
「うーん、冷たくて気持ちいいですね」
「あの…家、汚いですよね。すみません。なんかぼろいし」
私が恐る恐るそう言うと、聖人先輩は目を細めて言った。
「いえ、晴さんの家、落ち着きますよ。座布団も、折り紙の造花も手作りでかわいらしいです」
「おばあちゃんが作ったんです」
私は顔を真っ赤にさせた。恥ずかしさはあるものの、聖人先輩の口調に馬鹿にした感じはなくて、安心する。
聖人先輩は縁側に目をやる。
ぬるい風が、聖人先輩と私の頬に当たり、少しだけ涼しくなったような気がした。私は、風に揺れた折り紙の造花を眺めた。
けして、裕福じゃなけど、私はこの家が好きなんですよ。
私は心の中で呟いて、聖人先輩を見つめた。私はそのことを聖人先輩に気づかされた。そして、そんな気持ちを聖人先輩は見透かしているように思って、私は嬉しくなる。
「さ、ゼリー食べちゃいましょうか」
そう聖人先輩が笑った。その笑顔は、いままでよりも距離が近づいた、屈託のない年頃の男の子の顔だった。
「はい、食べて、課題も頑張ります」
私はそう微笑んだ。
私はオレンジ味のゼリーを握りしめた。手の中で汗を掻いたゼリーは冷たくて、触っていると気持ちが良かった。
私はラベルを剥がしてゼリーを口に運ぶ。喉を滑り落ちる冷たさと甘ずっぱさは、私の胸をすうっとさせてくれた。
END
最初のコメントを投稿しよう!