【怪談】人を呪わば……

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 山梨県の奥深く,数軒の温泉宿がある以外ほとんど人が足を踏み入れない土地がある。かつては林業が中心だったこの土地も今では温泉を目当てに訪れるわずかばかりの観光客を相手に数組の家族が住んでいるだけになっていた。  ある温泉宿に伝わる話だが,決して気持ちのよい内容ではないのでこの話を知っている人間も今では僅かになっている。  もっとも多く目撃されたのが,昭和三十年代と言われている。この温泉宿のすぐ裏手に小さな池があり,そのほとりにお稲荷さんが祀られていた。  お稲荷さんの横にある大きな木には大量の五寸釘が打ち付けられ,そのほとんどが錆びて茶色く変色していた。  この宿を利用するのは,男に騙され,利用され,裏切られて捨てられた女ばかりだった。女たちは宿に泊まり,丑三つ時になると白装束に身を包み,頭に五徳をかぶって蝋燭を立て,大量の五寸釘と藁人形を持ってお稲荷さんを目指した。  月明かりを頼りにお稲荷さんにつくと,藁人形に男の写真や髪の毛をくくり付け,その上から五寸釘で大きな木に人形を打ち付けた。それを誰にも見られることなく七日間繰り返すと,呪った相手の命を奪えると伝えられ,この宿はそんな女たちにとって有名な場所であった。  最後に女が呪いを目的に宿泊したのが去年の冬だった。女は三十五歳を迎えた年に婚約者に裏切られ,十歳も若い女に男を取られてしまった。両親には早く子供が見たいとせがまれ,親族たちからも祝福されていた矢先の出来事に女の精神は壊れてしまった。  そして女が宿を予約したとき電話を受けた年配のスタッフは,すぐに女が普通ではないことを察し,昔から呪いを目的に泊まりにくる客用の質素な造りの離れを勧めた。  それから七日間,深夜になると釘を打ちつける大きな音が山中に響き渡り,宿のスタッフたちはいつもより厳重に戸締りをした。  七日目の朝を迎えると,お稲荷さんの前で全身に大量の五寸釘を打ち付けられた白装束の女が血塗れになって倒れていた。  年配のスタッフは慣れた手つきで落ちている釘を拾い集め,お稲荷さんのところにまとめると黙って警察に連絡をした。  しばらくして軽自動車にのった年配の警察官がやってくると,大きくため息をついた。 「人を呪わば……ってやつか。まったく,令和になってもこんなことを信じて宿にやってくる女がいるんだもんな。可哀想に」 「お巡りさん,この子は最後まで足掻いて抵抗して,男を道連れに一緒に地獄に堕ちるのを選んだんだ。悪いのは全部男さ。この釘の数だけ呪いが強いんだよ」 「そんなもんかね」 「ああ,そんなもんだ」
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