第一話 遺跡

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 車から降りて、ぐるりとロープに囲まれた遺跡に入っていく。  愛想のない直線的な岩が転がっているだけで、言われなければ遺跡だと気づかないかもしれない。 「いや、本当に小さいな。神殿というより家じゃん」 「颯真くん、鋭い。【月の集落】は、神殿にしては小規模だし装飾が少なくてね。だから【月の集落】――なのよ。といっても他の建物も見つかっていないから、謎なのよね。ここを発見した考古学者は、他にも同じ建物が発見できると思って発掘したんだけど、発見されたのは月の動きを観測した石碑と、お皿などの食器だけ」 「……夏美ちゃんは、この遺跡はなんだと思うの?」  真冬が小さく尋ねると、夏美は腕を組んだ。 「ずーっと考えているんだけど……学者とか神官とか、とにかく知識階級が住んでいた家だと思うのよね。他の遺跡からは離れているから、敢えて離れたところに建てた――と仮定して。島流しだったんじゃないかしら」  夏美の推理に、真冬は驚く。 「マヤに島流しのイメージ、ないよね。たくさんの生け贄を捧げた文明だったわけだし」 「そうよね。でも、近くにはセノーテもない。好き好んで住んだわけじゃない。なら、罪人。だけど誰かに物資を運ばせていたのだとしたら、高貴なひとよ」  セノーテとは、マヤ文明における泉のことだ。大きな川がないユカタン半島では貴重な水源として尊ばれ、崇められ――生け贄を捧げられたという。 「それに……チャックモールがある」  夏美が指を差したのは、建物のなかにある小さな人物像だ。  赤っぽい石材でできており、なにかを載せるような形をしている。 「あれ、見たことあるかも。チャックモールって、生け贄の台なんですよね?」  颯真が身を震わせながら問う。 「生け贄の心臓を載せる台だった、と言われているわね。マヤ文明とアステカ文明に散見される遺物よ。大体は博物館に収蔵されているわ。ここにあるのもレプリカ。明日行く博物館に、本物が飾ってあるわ」  夏美の説明で、一同は「へえ」とつぶやく。 「生け贄を捧げる台という説に従えば、ここに住んでいた人物は生け贄を捧げる儀式をしていたのか、それとも他のひとから生け贄を受け取るような人物だったのか。本当に謎が多い遺跡ね。今のところ、建設途中の神殿で途中で天災かなにかで中止になった――という説が有力よ。まあ、だからこそあたしはエスメラルに移住してまでこの謎を解こうと思えたんだけど」  夏美は大仰なため息をつく。 「この遺跡は観光地として開放されて、長いからね。残念ながら、もう発掘作業はやりつくされている。ここに似た遺跡が出てきたり、記録の石碑が出てきたら謎が解けるかもしれないわね」  夏美の説明に、みんなは真剣に聞き入っていた。  真冬はふと自分たちから離れて立つリカルドに気づき、近づいた。 「リカルドさん」 「はい?」 「リカルドさんは、このあたりで育ったんですか?」  真冬の問いに、リカルドは微笑む。 「いえ、もう少し東のほうですね。山奥にある村です。母親が、首都まで出稼ぎにいったときに、俺の父親と出会ったらしいです。俺の父親は裕福なほうで……でも、俺が五歳のときに離婚して、母親は村に戻りました。そのあと、俺は村で過ごしました。その村は本当に辺鄙で不便で――俺の祖母や祖父は、スペイン語がわからなかったんです」  その情報に、真冬はぽかんとする。 「俺の母親も最初はしゃべれなくて、神父にスペイン語を習ったそうです」 「エスメラルの公用語はスペイン語なのに、しゃべれないひとがいるなんて」  真冬のつぶやきに、リカルドは苦笑した。 「あ、ご、ごめんなさい」 「……いえ。そう思われても仕方ない。でも、現実です」  ため息をつき、リカルドは続けた。 「俺が十歳のとき、母親が死んで……父親が俺を引き取ったんです。そこで俺は育ち、大学に行って、アメリカにも留学できた。父親が裕福だったから」  リカルドは、そっと真冬の肩に触れてきた。  なにごとかと思ったら、リカルドはただ木から落ちてきた葉を取ってくれただけだった。 「俺の村には昔、スペイン語がわからないがゆえに騙されたひとがいたんです。通訳に騙されてそのひとは書類にサインしてしまったらしくて。そのおじさんは、遠縁から土地の権利を継いでいたんです。その権利を無償で譲る契約に、騙されてサインしてしまった。スペイン語がわかれば、防げたことです」 「ひどい話……ですね」 「はい。だから、俺は休みの日に村に行ってスペイン語を教えているんです。そういう哀しいことは、なくなってほしいから」 「……リカルドさんは、すごい、です」  正直な思いを口にすると、リカルドは困ったように笑った。 「いえ。そんな、立派なやつじゃないんです。ただ、俺は村にいたときはみんなに世話になったから。単なる恩返しです」  リカルドは謙遜したが、真冬にはまだ彼がまぶしく思える。  颯真と夏美の会話が聞こえてきた。 「でも、マヤもアステカも怖いっすよねー。生け贄の儀式、ネットでざっと見たけどめちゃくちゃ怖かった」 「まあ、私たちから見たら残酷よね。でも、彼らなりの理由があってやっていたのよ。生け贄を捧げてこそ太陽が復活すると思っていたから、彼らには必要な儀式だった。現代の私たちから見たら――というのは重要よ。マヤでもアステカでも、人身御供は絶対に必要な神聖なものだったのだから」  そう締めくくり、夏美はチャックモールのレプリカを見つめていた。
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