プロローグ

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プロローグ

 なぜ、この席の並びなのだろう。  飛行機に乗ってから幾度も浮かんだ疑問を、栓もなく心のなかで繰り返す。 「颯真(そうま)ってばあ。映画ばっか観てないで、おしゃべりしてよ」 「ばーか、沙友理(さゆり)。飛行機では先行公開している映画がいくつもあるんだぞ? お前も観ておけよ」  甘ったるい声で話しかけるのは、茶髪の女子大生。腹を出したデザインのタンクトップを着ているのは、スタイルに自信があるからだろう。  実際、彼女の腹は平たく、腰はくびれている。やや胸は小さいが、本人は気にしてないと公言している。  イヤホンを外し、彼女をいなしているのは、爽やかに短くカットした髪の、男子大学生。イケメンに分類するにはやや顔が大味だが、彼の笑顔は陽気で見る者を和ませる。人気者なのも納得だった。  ふたりを横目で見て、映画の音量を上げようと画面に手をのばす。  すると、間の悪いことに視線に気づかれた。 「霞ヶ原(かすみがはら)さんが、こっち見てた。なんなの? 怖あい」  大げさに言い張り、沙友理は颯真の腕に腕を絡ませる。 「……沙友理の声が大きいんだろ。すまんな、真冬(まふゆ)。おい沙友理、気をつけろ。あと、うちのサークルはみんな下の名前でフランクに、がモットーだ。真冬って呼べよ」  颯真は片腕を挙げて真冬に謝り、沙友理に注意する。  沙友理はムッとして顔を背けていた。 「いえ……」  それだけ答えて、真冬は画面の音量を上げて更なる沙友理の声を遮り、窓に視線をやる。  日本を出発して、まだ二時間。外は薄青い。  目的地――中米の国エスメラルまで、乗り継ぎを含めると二十二時間もかかる。 「ロスで町に降りて観光したかったあ!」  真冬の抵抗むなしく、沙友理の声がイヤホンを貫通してきた。 (全く、なんだってカップルの隣に座らないといけないの)  真冬は窓際の席で、その隣が颯真、その隣の通路側が沙友理となっている。 (勇気を出して、(みなと)くんに席を変わってって言えばよかった。いや、でも湊くんも嫌かなあ)  真冬は首を反対側に向けて、通路を挟んだ席に座っている湊を見やる。  彼はイヤホンをして、映画を観ているようだった。  旅行社に航空券の手配を頼んだため、団体で取ってくれたのだ。  四人離れるよりは心強いと思ったが、これならバラバラで取ってもらったほうがよかったかもしれない。  ふと、真冬はスマホをポケットから取り出し、見やる。  タップすると、機内モードになった画面が現れる。  (いく)とのラインを開く。  最新のメッセージは、飛行機に乗る前の待ち時間に届いた。 『今回、行けなくて本当にごめんね! エスメラル旅行、楽しんできてね』  メッセージのあとに、かわいいウサギのスタンプが添えられてる。  次いで、真冬は叔母とのラインを開いた。 『道中、気をつけてね! 会えるの楽しみにしてる』  十三年ぶりに、叔母に会える。  叔母の夏美(なつみ)は中米の文明の魅力に取り憑かれ、十三年前に中米の小国エスメラルに渡った。  特に彼女はマヤの遺跡に惹かれ、それを中心に研究を続けている。  夏美は高校を卒業してエスメラルに渡り、語学学校で二年間、スペイン語を学んだ。そして現地の大学に入り、アルバイトをしながら卒業し、大学院に進んだ。  博士課程を終えたあとも発掘のアルバイトや飲食店のウェイトレスで食いつないで、今はエスメラルの大学の講師だ。  言語も文化も全く違う、治安がいいとは言えない国で、たくましく生きている叔母は、真冬の憧れだった。  叔母に思いを馳せていたら、颯真に肩を叩かれた。  真冬はイヤホンを外す。 「悪い、真冬。機内食みたいだ。対応頼めるか?」 「……はい。部長」  真冬はスマホを仕舞い、フライトアテンダントが近づいてくるのを待った。  颯真と沙友理の飲み物の希望を聞き、フライトアテンダントの説明を訳す。 「チキンとフィッシュどっちにしますか? と尋ねています」 「俺はチキン」 「あたしはフィッシュ」  フライトアテンダントがうなずくのを確認してから、颯真と沙友理用のビールをお願いし、自分には炭酸水を頼む。  機内食を広げたところで、沙友理が毒づいた。 「あれぐらい、頼むことないじゃない。あたしでもわかるわよ。ちょっと頭がいいからって、鼻にかけて」  沙友理の毒が自分に向いていることは明白だ。  真冬はプラスチックのフォークを握りしめ、うつむく。 「馬鹿、沙友理。黙ってろ。これから英語とスペイン語がわからないと話にならないんだぞ。真冬が頼りだ」  慌てて颯真は沙友理を叱っていた。 「ごめんな、真冬。こいつ、お前に嫉妬してるんだよ」 「嫉妬じゃないわよ」  沙友理の抗議を黙殺し、颯真は「ほんと、ごめんな」と謝ってくる。  部長は悪いひとじゃない。それは、わかっている。 (だけど、沙友理さんを連れてきてほしくなかった)  沙友理だって、ミステリーサークルの仲間だ。サークルの旅行という名目のこの旅行についてくる権利はある。  されど、子供じみた思いを抱いてしまう。 「いやあ、真冬はすごいなあ。一体、何カ国語しゃべれるんだ?」  ご機嫌取りなのか、颯真が褒めてきたが、あまり嬉しくない。 「……それなりに」  本当は、主要な言語はほとんどマスターしている。  だが、言えば沙友理がまた嫌みをぶつけてくる気がして。  真冬は適当に濁しておいた。 「俺も天才に生まれたかったなあ」  颯真のつぶやきに、曖昧な笑みを浮かべてみせる。  真冬はいわゆる「天才」に生まれついた。  三歳のとき、あまりに言葉が達者で、テレビでやっていた映画の英語を解し、算数ではなく「数学」のドリルをこなしたので、両親はびっくりして真冬にIQテストを受けさせた。  結果はIQ190。天才に分類される数値だった。  言語は勉強すれば、日常会話ぐらいはこなせるようになったし、読み解ける。  理系の科目も、あらゆるものが理解できた。  選べば、どんな学問でもマスターできる。  だが、真冬は大学で犯罪心理学科を選んだ。  真冬にとって、一番わからないものは「人間の心」で、更に言えば「犯罪に至る心理」は千差万別で、どんなにパターンを予測しても予防できるということがない。  みんな、真冬が天才だと知ると羨ましがったり、嫉妬してきたりする。 (でも、私はそんなにすごい人間じゃない)  たまたま、天才という能力に恵まれただけで。  真冬にとって「すごい人間」というのは、夏美みたいな人だ。 「好き」を原動力に異国に飛び込める行動力。  それは、真冬が持たないものだった。  くわえて、真冬は社交性がゼロに近い。小中高とひとりぼっちで過ごし、大学でできた唯一の友だちの郁は、向こうが「真冬が天才少女であることを知って」話しかけてくれたから友情が成立した。  郁は同じ犯罪心理学科に所属し、ミステリー作家を目指している。  真冬がミステリーサークルに入ったのも、郁が勧誘してきたからだ。  ミステリーサークルは気楽だった。ただ部室でミステリー小説や冒険小説を読んだり、ミステリー談義をしていればいい。  そういう活動が物足りないからか、部員は少ない。  だからこそ勧誘のために、エスメラル旅行をダシにされてしまったのだが……。 (ちゃんと断ればよかった……)  三年生で部長の颯真は話がうまく、真冬が「二年生の夏にエスメラル旅行に行く計画を立てていること。叔母がいるので伝手があること」をあっという間に聞き出した。  颯真は「エスメラル旅行、いいね! 普通の旅行者が行かないところに行くのもミステリーサークルらしいじゃないか。中米といばミステリーに満ちている!」なんて言って、真冬の計画をサークル旅行に書き換えた。  正直、真冬もひとりで行くのは心細くて郁を誘おうと思っていた。されど中米は大体治安が悪い。空港まで叔母が迎えにきてくれるという申し出もあるが、女ふたりでは、なかなか心許ない。長時間のフライトも不安をあおった。  そういうわけで、真冬は颯真の「エスメラル旅行をサークル旅行にしよう」という案に乗った。  しかし、エスメラルまでの旅費は安くない。  真冬もアルバイトをして旅費を貯めた。飲食店のアルバイトの面接にことごとく落ちてたいそうへこみ――結局はマイナーな言語の翻訳という地道なアルバイトで稼いだ。  郁は最初は行く気だったのだが、「イベントに出たから旅費を貯められなかった」「出したい新人賞の締め切りが夏休み中にある」というふたつの理由をもって、辞退した。  郁は定期的にイベント――同人誌即売会でオリジナルの小説を販売している。たとえ完売してもイベントの参加費や諸経費で赤字になってしまうものらしい。  彼女がイベントを優先させたことにがっかりしたが、彼女の選択なら仕方がない。  他の部員も旅費が高すぎるという理由で、辞退多数。  結局、参加者は真冬、颯真、沙友理、湊――のたった四人だった。  今年の春、「神秘の国エスメラル旅行に行ける!」と宣伝してビラをまいた颯真の努力はなんだったのだろう。  機内食をもそもそ食べながら、またちらりと颯真と沙友理のほうを見てしまう。  もともと、真冬は沙友理と折り合いが悪かった。  郁に勧誘された日、真冬と郁は他の部員より先に部室に入って待っていた。  すると、入ってきた沙友理が真冬を見て「誰? ダサっ」と毒づいたのだ。  真冬はファッションに興味がない。  いつもユニクロで適当に買った服に身を包み、伸びっぱなしの髪は腰まであるが、癖っ毛なので外に自由にはねている。  一方、高そうで派手な服をまとった沙友理。赤いネイルもしっかり塗られていた。  彼女の美意識的に、許せなかったらしい。  その次に入ってきた颯真に郁が真冬が天才だと紹介すると、沙友理は面白くなさそうな表情になった。  颯真の彼女である沙友理が旅行に来ることは予想できていたが、まさかこんなに少なくなるとは……。  真冬はため息をついて、機内食を食べ終えた。
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