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冬(葵編)
ずっとずっと目に入るだけで苦い思いをするモノがあった。本来ならば大抵の人がソレを見ると楽しい気持ちになるはずのモノだった。
「……円歌。アレ、一緒に乗ろう?」
「え?……なんで?」
円歌にとってもアレが苦い物であれば良いのか、悪いのか自分でも判断がつかなくて苦しかった。これからずっとアレを避けなくてはいけないのかと思ったら、円歌が20歳になる区切りの年の前に、この想いから解放されたくなった。
「……ダメ?」
「ヤダよ……高いところ苦手なの知ってるでしょ?」
「お願い……もう、避けるの、嫌なんだ」
「葵……」
円歌はとても悲しそうな顔をしている。それが私のせいならば、より一層、私たちはアレを乗り越えないといけない気がした。
「乗ろ?」
俯くようにして円歌は頷いた。繋いでいた手を強く握り直して、私たちは歩き出した方向にあるソレに――観覧車に、乗り込んだ。
「まだ全然高くないよ」
「……上がってくのも恐いの」
観覧車に乗るとすぐに円歌は外の景色を見ることもなく、痛いくらい強くしがみ付いていた。あの時もきっと、こうだったのだろう。
私にとって観覧車には因縁があった。まだ円歌とただの幼馴染だった高校1年生の頃、バスケ部の人たちと円歌も一緒に遊園地に遊びに行った時のこと。最後に志希先輩が円歌と一緒に観覧車に乗りたいと言い出した。心の底から嫌だったのに、嫌だとは言い出せなくて。あの頃の私はお揃いのキーホルダーを買いたいと言うのが精一杯だった。そうして晴琉と一緒に円歌と志希先輩が二人っきりで乗るゴンドラの後ろに乗っていた。辺りは暗くなっていて、目を見張る夜景の中、二人がキスをしているのを、私がずっと大好きで想い続けていた幼馴染がキスをしているのを、ただただ呆然と眺めていた。
「……恐い」
「大丈夫だって。ほら、夜景綺麗だよ?」
「葵の顔が恐いの……私はどうすればいい?」
「……何言ってるの?」
「葵ごめん……観覧車見る度に辛かったんだよね?……私はどうすればいい?どうしたら、葵は笑ってくれる?」
今にも溢れそうなくらい目に涙を溜めて、円歌は私に許しを請うかのようにすがりついていた。私はここでようやく自分の行いが間違っていることに気付いた。
「……ごめん円歌。そんな、謝って欲しいわけじゃなくて……ごめん、ごめんね」
強く抱きしめ直して、何度も謝罪の言葉を口にした。見る度に辛いなら、上書きすればいいと考えていた。一緒に観覧車に乗れば、思い出されるのは円歌と乗った記憶だけになるって、単純に物事を考えていた私は本当に馬鹿だ。結局私は円歌と志希先輩の過ぎた思い出を受け入れられず、ずっと無表情のまま円歌に不安だけを与えていた。
「円歌は何も悪くないから……泣かないで」
私の肩に頭を乗せてしがみついていた円歌から鼻をすする音が聞こえていたから、背中を撫でて落ち着かせた。
「ごめんね……思い出を塗り替えたくてムキになってた。円歌のことまで考えられてなかった……今はただ、一緒に夜景を見たい。もう恐い顔しないから。だから、一緒に思い出作ってくれる?」
「……うん……手、繋いで?」
しっかりと手を繋ぐ。観覧車に乗って初めて目が合う。円歌の目は涙で真っ赤に染まっていて、もう一度自然と「ごめん」と口にしていた。
「もう謝らないで」
「うん、ごめん」
「ねぇ」
「あぁごめん」
「もうわざとでしょ」
ふと円歌に笑みがこぼれて安心した。最初からこうしていれば良かった。過去の事に囚われずに、新しい思い出を作ることだけを考えれば良かった。円歌が笑顔になれる未来だけを、考えればいい。
「ほら外見て?」
「えー?やっぱり恐い……」
「大丈夫、手、繋いでるでしょ」
「……うん」
大丈夫。今、円歌と手を繋いでいるのは、私だ。そして、これからも。
「……綺麗だね」
「うん」
深呼吸をした円歌は私にしがみ付きながら窓の外を眺めていた。一緒に夜景を見たいと言ったのは私なのに、私は夜景を見る円歌の横顔をずっと眺めていた。
「ねぇ、葵景色見てないでしょ」
「……円歌見てるほうが好きだから」
「じゃあ乗らなくて良かったじゃん!」
「うん、ごめん」
「もうっ!」
既に観覧車は一番高いところまで辿り着いていた。円歌は私のシャツの首元を引っ張って引き寄せると、そのまま私に一瞬だけキスをした。
「びっくりした」
「……私は綺麗な夜景より葵とちゅーしてるほうが好き」
「そっか……葵もだよ」
「じゃあ証明してよ」
ゆっくりとキスをして顔を見合わせる。
「……良い思い出、できた?」
「うん。ありがとう円歌」
そこには円歌の笑顔があって、円歌の瞳には笑顔の自分が映っていた。
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