冬(晴琉編)

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冬(晴琉編)

 サークルの飲み会でとある先輩が酔いつぶれてしまって、家まで送ってって言われて送った。家まで辿り着いたら先輩が玄関で寝転がってしまった。真冬の冷たい玄関に置いておくわけにもいかず、仕方がないからベッドまで運んだら、首に回された腕に思いっきり顔を引き寄せられて唇を押し付けられた。離れようとしても、がっしりと首に回された腕を中々引きはがせなくて、口の中にはお酒の味が広がって、ひどく気持ちが悪かった。 「はぁっ……何、して……」 「なぁに?初めてみたいな反応をして……」  少し乱暴だけど非常事態だから力いっぱい抵抗して、ようやく離れた唇。慌てて距離を取って、先輩を睨みつけたけれど、先輩は楽しそうに笑っていて、憎らしかった。 「……失礼します」 「帰っちゃうの?もっと楽しもうよ」 「そんな趣味ないので……もう二度と私に近づかないでください」 「えー?つまんないの」  玄関に置いたままだった荷物を持って、逃げるように先輩の家を出た。駅に向かうまでの間、ずっと唇を拭うように強く腕でこすっていた。いくらこすっても、お酒の味も先輩の嫌な唇の感触も残っていて、飲んでもないのに気持ち悪くて吐いてしまいたかった。 『お家行ってもいい?』  最悪の夜が明けて、二日酔いでもないのに気分が悪い朝。というかもうほとんど昼の時間。本来なら喜んでいる大好きな恋人からのメッセージの返事に迷っていた。会いたい。本当は死ぬほど寧音に会いたい。抱き締めて、キスをして、昨日のことを全て忘れさせて欲しかった。でも合わせる顔がない。恋人以外の人とキスをしてしまった。浮気をするつもりなんて全くなかったとはいえ、バカ正直に何も警戒せず家まで送って油断していた自分が情けなくて、罪悪感でいっぱいだった。   『ごめん今具合悪くて』 『大丈夫?何かあったら連絡してね』 『ありがとう』  具合が悪いのは嘘ではないのに、嘘を付いてしまったような罪悪感が更にのしかかる。今日は大学の講義もバイトもないせいで、昨日のことばかり思い出してしまってしんどい。 「ああああぁあ……」  枕に顔を押し付けて唸った。寧音のことを思い出して嫌な記憶を思い出さないように過ごした。 気が付けば夕方まで寝てしまっていた。起きたのはインターホンが鳴ったからだった。 「はい……」 『晴琉ちゃん?大丈夫?』  インターホン越しで声を聞いただけで泣いてしまいそうになるのをグッと堪えた。どんな顔をして会えばいいのか分からなかったけど、追い返すのは気が引けて寧音を招き入れる。 「ごめんね、やっぱり心配で……まだ顔色悪いね……」  玄関で私の顔を見て、心配そうに私の頬に伸ばした寧音の手から思わず逃げてしまった。具合が悪いのは自業自得なのに、寧音に優しくされることが辛かった。寧音が驚いた顔をしていて、自分がやらかしたことに気付く。 「あ……ごめん……寧音、ごめん……ごめんなさい」  その場でしゃがんでうなだれた。謝罪は今この瞬間のことだけではなくて、昨晩あったことを謝りたくて、でもそのことをどうやって伝えたらいいか分からなかった。寧音の顔も見られずただ謝罪の言葉を言うことしか出来ない。 「ねぇ晴琉ちゃんどうしたの?」  具合が悪いだけにしては様子がおかしい私に戸惑う寧音の声が聞こえる。 「ごめん……今日はもう、帰って欲しい……」  寧音にどうやって接したらいいかも分からなかった。一人になりたかった。でも寧音はそれを許してはくれなかった。優しく抱きしめられて、温かい寧音の体に包まれる。 「ごめんね。言うこと聞けない……今の晴琉ちゃんを置いて帰れないよ……何かあったんでしょう?言いたくないなら、言わなくていいから……そばにいさせて」  ただ力なく頷くことしか出来なかった。他に出来ることが何も思い浮かばなかった。 「晴琉ちゃん……ここだと冷えるから」  寧音に手を取ってもらって、リビングルームのソファまで連れて行かされて。私はソファの上で体育座りをしてうつむいていた。片方の手は寧音と繋いだままで、寧音はずっと黙ったままそばにいてくれた。 「――晴琉ちゃん」 「……何?」 「お腹空いてない?……良い時間だから」    顔を上げると外は暗くて、いつも晩御飯を食べている時間になっていた。 「……食欲ない」 「もしかして朝から食べてないの?」 「……うん」 「じゃあ後で良いから、すぐに食べられるように何か作っておくね」  ソファから立ち上がった寧音が料理を作る為に離そうとした手を掴んだままでいた。今の状態で、これ以上優しくされるのは耐えられなかった。 「晴琉ちゃん?」 「待って寧音……あの、聞いて欲しいことがあって……」 「……うん。ゆっくりでいいからね」  寧音はソファに座り直して、また手を繋いだまま、静かに私の話に耳を傾けてくれた。 「あのね――」  寧音の顔は見られなくて、うつむいたまま昨日のことを話した。先輩が飲みつぶれて、送って行った家でキスをされたことを。話していると不快なキスの感覚まで思い出して、また気持ちが悪くなっていた。 「ごめんなさい……」 「……どうして晴琉ちゃんが謝るの?」 「だって……寧音以外の人と……キスした……」 「今の話だと無理やりされた感じがしたけど……違うの?……晴琉ちゃんの意志で、キス、したの?」 「違う……違うよ。私は寧音意外となんか、したくない……」 「それなら晴琉ちゃんが謝ることなんてない……ねぇ、顔上げて?」  ゆっくりと顔を上げると、横に座っていた寧音の顔は辛そうだった。こんな顔させたくなかったのに。 「私が悲しむと思ったから、一人で抱え込んでいたんでしょう?ごめんね、辛かったよね」 「なんで寧音が謝るの……私がバカだから……」 「晴琉ちゃんはバカなんかじゃない。だってその先輩のこと、ほっといて帰れなかったんでしょう?……私は晴琉ちゃんの優しさにつけ込んだその人が許せないよ……大丈夫。晴琉ちゃんは悪くない。自分を責めたりしないで」  寧音は私を抱きしめて、「大丈夫だよ」ってもう一度しっかりと言い聞かせるように優しく囁いた。私はただ強く抱きしめ返した。 「……ありがとう寧音……ごめんね」  「謝らないで良いから……ねぇ晴琉ちゃん」  少し体を離して見つめ合うと、寧音は私の唇をなぞるように指を添えた。 「晴琉ちゃんはかわいいんだから……もっと警戒しないと」 「かわいくなんか……」 「かわいいよ晴琉ちゃんは。とってもかわいい……ねぇ、キス……上書きしたいんだけれど」 「うん……」    寧音は私の返事を聞くとゆっくりとキスをしてくれた。いつも優しいけど、より優しく感じた。 「ん……」 「……ねぇ、晴琉ちゃんのかわいい声、その先輩にも聞かせたの?」 「聞かせてないよ」 「本当?」 「だって、寧音と全然違うよ……寧音とじゃないと、気持ち良くない」 「……晴琉ちゃんかわいい……もっとしていい?」 「うん……もっとしたい」 「本当にかわいいよね」  私は昨晩のことを忘れるために、寧音とのキスに夢中になった。何度も繰り返される優しいキスに、私はようやく昨晩から続いた不安な気持ちと緊張が和らいだのだと思う。 「……晴琉ちゃんお腹鳴ってる」 「寧音とちゅーしたら元気になった」 「そう?良かった。じゃあご飯の準備しようかな」 「うん。ありがとう」 「何食べたい?」 「んー……がっつりしたやつ」 「朝から食べていないんでしょう?消化に良いものにしようね」 「えー」  普段通りのやりとりが戻って。お互い微笑み合う時間が幸せだと感じた。それから寧音に作ってもらった夕飯を一緒に食べた。寧音と一緒の時間がずっと続いたらいいのに。 「あのさぁ寧音、もう時間、遅いから……」 「今日はそばにいるって言ったでしょう?」 「……うん。ありがとう」  急なお泊りのために貸してあげた服はダボっとしたグレーのスウェットで、寧音が普段着るようなかわいらしいパジャマとかではないから新鮮だ。袖も丈も余っているからか、寧音がより小さく見えてかわいらしい。それにお風呂上がりだからすっぴんで、いつもより幼く見える。それだけで十分破壊力があるというのに、余った両手の袖を顔に寄せて、「晴琉ちゃんの匂いがする」って嬉しそうに言うから、たまらず抱き締めた。 「嗅がないでよ」 「だって晴琉ちゃんの匂い好きなんだもん」  背中に腕を回して、私の体にギュッと抱き締め返してくる寧音。寧音の方がよっぽど良い匂いがすると思うんだけどな……「好き」って言われただけで理性がおかしくなりそう。でもなんとなく今夜はただ二人でくっついて寝ていたいと思った。狭いベッドで身を寄せ合って、寧音を腕の中に閉じ込めて。見つめ合って話をする。 「寧音は明日早いの?」 「ううん。大学、午後からだから……晴琉ちゃんは?」 「同じだよ。じゃあもうちょっとお話しよ」  最近あったことや取り留めのないことをただ話すだけの時間が嬉しい。何だかんだこうやってゆっくりと二人で過ごすのは久しぶりかもしれなかった。もっと、こういう時間が増えたらいいのに。 「ねぇ、寧音」 「ん、どうしたの?」 「その、春に引っ越し考えてて……良ければなんだけど……一緒に住みませんか?」  単純だけど、これが今私に出来る一緒にいられる一番の方法だと思った。寧音は私の胸にうずくまってしまった。表情は分からない。 「寧音?……嫌?」 「ううん、嬉しい……晴琉ちゃん前は私と毎日一緒は無理って言ってたのに」 「もぉ。無理って言い方してないでしょ。その、心臓持たないから、待ってって言っただけで」 「もう私にドキドキしなくなった?」 「そんなことないけど……それよりもっと、一緒にいたい気持ちが上回った、かな」 「そう……私は、前より無理になっちゃったのに」 「え?なんで?」 「だって、会う度に晴琉ちゃんのこと、もっと好きになってる……私の方が心臓持たない」  そういうこと言うから。そうやって簡単に私のことドキドキさせるから、一緒に住みたいって言うまでにこんなに時間がかかったのに。それに今日はこのままただくっついて静かに寝ようと思っていたのに。 「そんなにかわいいこと言われたら……我慢できない」  寧音にはサイズの大きい緩いスウェットだから、裾から簡単に手が差し込める。寧音の弱いところはもう分かっている。背中を撫で上げて、耳元で名前を呼んだら跳ねる身体。ちょっと繰り返しただけでほら、目は潤んで――。 「――ルームシェア?」 「うん。寧音がそれなら良いって」 「へぇ。それで機嫌良いんだ?」  大学の構内で葵に寧音と一緒に暮らすことを報告した。その後寧音から出された条件はルームシェアから始めたい、ということだった。それぞれの部屋を持って、ベッドは別が良いって。 「うん。欲を言えば同じベッドが良かったけど、初めて一緒に暮らすなら、これくらいの距離から始めてもいいのかなって」 「そっか。まぁ二人は趣味が全然違うから、部屋は別の方が良いかもね」 「それは言えてる」  それから葵に二人暮らしで気を付けた方がいいことを聞いていた。とりあえず共有の部屋にはフィギュアは置くなと言われた。
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