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春(寧音編)
「へへ……円歌」
晴琉ちゃんの家で一緒に夕飯を食べて、そのまま泊まることにした。今日晴琉ちゃんは円歌とお買い物に行ってランチを食べた後、喫茶店でおしゃべりをして帰りにはゲームセンターにも寄ったと聞いていた。余程楽しかったのだと思う。寝言で円歌の名前が出るのだから。今日は用事があったから円歌のほうが私よりずっと一緒にいたのに、夢の中でまで一緒にいるなんてずるい。それに晴琉ちゃんは私のことを抱きしめて寝ているくせに、他の女性の名前を呼ぶなんてデリカシーがない。
幸せそうな寝顔を見ていられなくなって、こっそりと腕から逃げ出して寝室を出た。コップを借りて一口水を飲んで何とか自分を落ち着かせようと思ったけれど、薄暗い部屋で一人、考え事をしても気持ちは暗くなるばかりだった。
「はぁ……」
寝室に戻るのも気が乗らなくてリビングのソファに横になる。親友だと思っている円歌に嫉妬してため息が出る自分が嫌になる。でもだって。晴琉ちゃんにとって円歌はどう考えても特別なのだと分かるから。葵ちゃんと一緒にいる円歌を見守る晴琉ちゃんの姿には、どうしたって友達以上の感情が見えた。恋愛とは違う、でも深い愛情がそこにはあった。
それに円歌は志希ちゃんにとってもきっと特別だったと思う。あれだけ女遊びが激しい志希ちゃんが真面目に付き合おうとしたのなんて、円歌が初めてだったから。
円歌とずっと親友として付き合っていきたいと思っているのに、確実な嫉妬の自覚があって自己嫌悪に陥る。モヤモヤとした気持ちは一人ではどうすることも出来なかった。
「はぁ……」
もう一度、更に深いため息が自然とこぼれる。眠れる気がしないけれど、明日目の下にクマでもあったら晴琉ちゃんに心配されてしまうから。なるべく何も考えないようにしてギュッと目を閉じた。
「――……ん……」
目が覚めると朝になっていた。でも目を閉じる前に見た景色が変わっている。ソファに一人縮こまり横になっていたはずなのに、ちゃんとベッドで眠っていて、晴琉ちゃんの腕の中にいる。まさか夜に寝室から抜け出した時のことは私が見た夢だったのだろうか。晴琉ちゃんが寝言で円歌の名前を言ったことも――。
「おはよう寧音」
「……おはよ」
先に起きていた晴琉ちゃんの声はいつもと変わらず優しい。時間を聞くと思ったより早朝だった。そして違和感に気付く。晴琉ちゃんはランニングをする習慣があって、本来ならこの時間には家を出ているからだ。
「今日はランニング行かないの?」
「ん?うん。気分じゃないなぁって」
昔からの習慣だから朝走らないと調子が出ないと言っていたのに。目覚めてすぐに訪れた幸せな時間に浸りたいけれど、違和感が邪魔をする。
「大丈夫?寒くない?」
そうして晴琉ちゃんは私を抱きしめ直した。温かくてすぐにまた寝てしまいそうだけれど、私は違和感の正体に気付いて目が覚めた。
「……私、ソファで寝てた?」
「うん」
やはり夢ではなかった。ずっと晴琉ちゃんが私を温めるようにくっついて、背中をさするように手を動かしているからもしやと思った。晴琉ちゃんがベッドまで運んで、私の体が冷えているのに気付いて日課のランニングに行かずに温めてくれていたのだ。
「運んでくれてありがとう」
「うん……ねぇ、なんでソファで寝てたの?」
「……晴琉ちゃんが、円歌って、寝言で言ったから……」
「え゛、ごめん……そういう時は叩き起こしていいから!」
「でも、すごく幸せそうな寝顔してたもの」
「う゛」
「円歌とのお出かけ、そんなに楽しかったんだね」
私の言葉に晴琉ちゃんが落ち込んで申し訳なさそうな顔になっている。私はいつもこうだ。素直に嫉妬したって言えばいいのに。こうして可愛げのない言動ばかりする。
「……ごめんね、意地悪なこと言って……」
すぐに反省して行動に移せるようになっただけ、マシなのかもしれないけれど。
「ううん、大丈夫……朝ご飯、準備してくるね」
晴琉ちゃんはもう一度「ごめん」と呟くとベッドから起き上がってしまった。包まれていたぬくもりがなくなって、寂しくなる。追いかけるように私も起きて、朝食を作りに立ち上がろうとする晴琉ちゃんの背中にしがみついた。
「寧音?」
「……もうちょっと、傍にいて?」
振り返った晴琉ちゃんの笑顔は優しい。私のお願いを受けてもう一度抱きしめてくれた。
「私のこと……見捨てないで」
「そんなことしないよ」
文脈のない私の言葉も受け入れてくれる。私を離さないと晴琉ちゃんが言ってくれた日からずっと、その言葉に私は甘え続けている。
「ありがとう晴琉ちゃん」
与えられたぬくもりを冷ましてしまわないようにしたい。私もあなたにいつか、ぬくもりを与えられるような存在になりたい。
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