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成長 *サフィーア
生後二か月でやってきたアレンは、日を追うごとに顔つきがしっかりしてきて出す声にも意思が感じられるようになってきた。
表情が出てきて、私が近づくと目で追うようになった。
歯が生えたり寝返りをしたり。
毎日少しずつ新しいことができるようになって、私とアニス、乳母のミリーや使用人たちに笑顔が溢れる。
ほんの半年前まで陰鬱としていた屋敷は、アレン一人で明るいものへと変化した。
「夫」は変わらず別邸にいて社交に「妻」が必要な時以外、本邸へ帰ってこない。息子のことが気にならないのだろうかとは思うが、帰ってこないのは私にとってはありがたいことだった。
*
あっという間に日々が過ぎ、ミモザの花が咲く頃、一才になったアレンは私に向かって両手を広げ歩いてくる。ぎゅっと抱き止めると「きゃはは」と可愛らしい声で笑っている。
初めての言葉は「マミー」だった。震えるほど感動し、心の底から愛しさが込み上げてきた。
アレンがいなかった日々を思い出すのが難しいほど、私は満たされていた。
言葉を理解するようになると教育が始まった。最初は本の読み聞かせから。
本の挿絵や散歩で見かけた植物などを指差しては「これはなあに?」「それはなぜ?」という終わりのない質問を問いかけてくる。時には一緒に調べながら苦心しながら答えていく。
「アレンさまの探究心はさすがですね。うちの息子にも見習ってほしいものです」
うちのチャーリーはアレンさまより二か月上なのに、と乳母のミリーが頬に手を当てため息混じりに呟いている。
ミリーの子のチャーリーは外で走り回るのが性に合っているらしい。それでも乳兄弟のアレンとチャーリーは仲がいい。将来は主人と従者となる関係だけれど、一緒にすくすくと育ってほしい。
三才を過ぎる頃には私のことを「ははうえ」と呼ぶようになった。
たまの社交のため私を迎えに来る「夫」に対しても、ミリーやアニスの後ろに隠れながらも「……ちちうえ」と呼んでいる。
「夫」は戸惑いながら「アレン、元気そうだな」と話しかける。
私は内心、いつ「アレンをジュリアの元に戻す」と言われないかヒヤヒヤしているが、もうアレンは対外的に侯爵家の嫡男で私の子と認識されているので、それはないと信じたい。
*
私は、侯爵家の仕事をこなしつつ時間のある時はアレンと過ごす。
休憩を取ろうと執務室を出ると、アレンは待ち構えていたように大きな図鑑を抱えてやってきて一緒に見ながらおしゃべりする。
そのうち家庭教師がつくようになり、パブリック・スクールの寄宿舎に入る年齢となり、だんだんと手が離れていくのを少し寂しく思うようになった。
寄宿舎に入る時には瞳に涙を浮かべていたのに、思春期と呼ばれる年齢になった頃にはよそよそしい態度になって近寄らなくなってきた。
成長の顕れだから仕方ないと喜ぶべきだろう。アレンもスクールに入り友人関係も広がって、この屋敷だけが世界の日々は終わったのだ。
また私は結婚したすぐの時のような心持ちになった。アレンが成長した今、私の生きる意味がなくなったような気がして。
私は先を見据え、仕事に邁進し外にも積極的に出るようにした。
*
王宮である舞踏会に「夫」と共に出席する。手を重ねエスコートされているもののまっすぐ前を見ている「夫」と目を伏せている私の視線が交わることはない。
いつも通り一曲踊った後は別行動。私ももう若くはないけれど、ありがたいことにダンスの申し込みをしてくれる殿方はいて寂しい思いはせずにいる。
ほかの貴婦人の蔑むような視線は感じられるけれど。
「まあ、侯爵夫人。今宵も蝶のようですわね」
殿方たちと歓談していると、ある貴婦人から声をかけられる。昔から私が一人でいるととやかく言ってくる人はいるものだ。
「……あら、逆でしょう。この方たちこそ蝶のように美しいですわ」
貴公子たちを見渡すと彼らがくすくす笑う。
「そうそう、侯爵夫人は一輪で咲く花のよう。その凛とした輝きに私たちはたまらず吸い寄せられてしまう」
そう言った殿方が私の手に口づけを落とすと、貴婦人が顔を歪ませて「……いい年をして恥ずかしくないのかしら」と呟いている。
平民の愛人に「妻」の立場を脅かされているくせに貴公子たちと楽しそうに話している私が気に食わないのだろう。彼らにしても「夫」に顧みられなくて寂しいであろう侯爵夫人に儚い夢を与えたいと思っているだけであるのに。「妻」は清廉を求められる。
世間の評価とはこんなもの。十六の私に許されなかったことは、今の私にも許されないのかしら?
「愛したい」「愛されたい」と思うのは、女の喜びを知りたいと願うのはそれほど罪なことなのかしら?
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