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恋慕 *アレン
僕には美しい「母」がいる。
いつまでも若々しく優しく賢く、そばにいると安心する。
けれど。
*
物心がつく頃、僕と母が似ていないことに気がついた。
たまに来る、ほとんど他人のような父は黒い髪に焦茶の瞳。母は柔らかなブロンドに緑色の瞳。
僕は黒い髪に水色の瞳だ。目や鼻、耳の形も母と似ているところがなに一つない。チャーリーと、その母親のミリーは栗色の巻き毛もそばかすもよく似ているのに。
疑念は積み重なっていく。
父はなぜここに住んでいないのか。
母は時折り諦めたような目で父を見ているが、なぜ父は母を見ようともしないし会話もしようとしないのか。
……父は、どこで誰と生活をしているのか。
*
「アニス、僕の母親のことなんだけど」
侍女長のアニスの肩がびくっと揺れ、引き攣った顔で僕を振り返る。だがすぐにいつもの表情に戻る。
「奥さまは執務室においででございます」
僕をごまかせたとでも?
やっぱりそうだ。「母」は僕の母親ではなかった。
でも、僕はそれを心の中に封印した。「母」は、僕がそれを知ったとわかったら悲しむだろう。
僕は家庭教師から課された宿題を抱え、素知らぬ顔をして「母」のいる執務室へ向かう。
「あら、どうしたの? アレン」
「わからないところがあって」
「まあ、私がアレンに教えられることがあるかしら」
「母」が柔らかく微笑む。その清らかな笑みに胸がきゅっとなる。
博識で優しくて美しい「母」。父はどうして「母」を見ないのだろう。
*
僕は十三才になってパブリック・スクールに通うようになり、学友として乳兄弟のチャーリーと共に寄宿舎に入った。
久しぶりに実家に戻っていた休暇が終わりスクールに戻る時、なにとはなしに馬車の車窓から見慣れた風景を見ていた。
貴族の屋敷が立ち並ぶ区画を出る寸前、僕の目にその人が映った。
髪の毛の色はダークブランドだが、水色の瞳と、顔立ちが僕に似た女。その女は胸の前で両手を握り、悲痛な面持ちでこちらを見ていた。
瞬間、理解した。
僕の中に生まれたのは「憎しみ」。あの女と父親に対する吐き気がするほどの嫌悪感。
すぐにカーテンを閉める。
「気分が悪いんですか?」
チャーリーが心配そうに僕の顔を覗く。僕は思わず顔を両手で覆った。
僕の「顔」を見ないでくれ。
*
その日から、僕は「母」を避けるため帰省することが減った。
あの女が生物学上の母親であると突きつけられた衝撃と、やはり「母」は僕と他人だったという事実。
どんな顔をして「母」と会えばいいのかわからない。
気まずいから避けるなんて、あの父親と同じじゃないか。
最近「母」はよく出掛けるようになったと家令から手紙で定期報告が来る。仕事関係ではあるらしいが、夜遅くになることもあるという。
もしかして僕の知らない人と会っているのではと思うと心がざわざわする。そういえば僕の家庭教師も「母」に勉強の進捗を報告するとき、真っ赤になって憧れのこもった目で見ていた。
久しぶりに帰省した時に見た「母」は、前に会った時よりもずっと美しくなっていた。
まるで恋をしているかのように。
胸の中にどろりと黒い澱が溜まっていく。
*
「母上」
「アレン」
花盛りのミモザの木の下に置かれたベンチに座っていた「母」の顔が、ばあっと嬉しそうに綻ぶ。
僕は少しの罪悪感と高揚感を抱えて「母」の足元に近づいて跪き、「母」の足にかけてある膝掛けに顔をうずめる。
「あら、珍しく甘えているのかしら?」
笑みを含んだ声が頭上から降り注ぐ。そして僕の頭を撫でる感触がする。
「僕は今年十五になりました」
「そうね。あっという間に大きくなったわ」
僕はとっくに「母」の背を追い越した。まだ成長するだろう。
「母」は、こんなにも華奢で小さい。
「……もう、自由になっていいんじゃないかな。サフィーア」
頭を撫でていた手がぴくりと止まる。それからまたゆっくりと繊細に、サフィーアの細い指が僕の髪の毛を梳く。
サフィーアはなにも言わない。ただ少し身体がこわばっている。
泣いているのかもしれない。
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