解放 *アレン

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解放 *アレン

 サフィーアを解放すると言ってもサフィーアのこの後の生活のこともあるので、すぐに「父」と離縁だのなんだのできるわけはない。  まず前侯爵である祖父と相談し、サフィーアに渡す財産についてと、「父」とその「愛人」の再婚は認めないこと、「愛人」を本邸に入れないことを確認した。  そもそも「愛人」は平民であり、いくら時代が変わろうとも侯爵である父との結婚は、それこそ駆け落ちでもしないと無理である。  本来ならば、どこか貴族家の養女にでもなるのだが、すでに四十を越えているし評判も悪いので受け入れる家はないだろう。  もしかすると侯爵家と繋がりを持ちたい男爵やら子爵やらが名乗りを挙げるかもしれないが、それでも家格の差がある。それに祖父や次期侯爵である僕が許さない。  次にサフィーアのことだ。サフィーア自身は実家に戻るつもりはないと言っている。それはそうだろう。サフィーアの兄が当主となっている今、本人にとっても実家の伯爵家にとっても避けた方が良いと思われる。  離縁するのであれば、侯爵家本邸を出るのが当然であるが、意外にも家令と侍女長の抵抗にあった。「誰が屋敷の運営と事業の管理をするのか」と。 「奥さまにはここにいてほしいのです」 「それはそうだろうけど、サフィーアはこの侯爵家と縁を切るのだから」 「旦那さまはここに戻られないのだから、良いではないですか」 「でもそうしたらサフィーアも使用人扱いになってしまうよ」  侯爵家とも伯爵家とも縁が切れるサフィーアの身分は平民になってしまうのだ。 「奥さまは今まで通りです。奥さまが出ていくならばわたくしもついていきます」    侍女長に出て行かれては困る。  使用人たちに慕われているのは分かっていたがここまでとは。僕はため息をついた。そんなことになればサフィーアを解放するどころか縛りつけてしまう。 「では、仕事をしにこの屋敷に通うことにしましょう」 「サフィーア!」 「対外的にも私はこの屋敷を出た方がいいわ。お義父さまから小さな屋敷と財産を頂いたし、しばらく引き継ぎのためにという名目で通いましょう。そのうち誰も気にしなくなるわ。それにアレンが結婚した時、若奥さんに色々教えることができるでしょう?」 「え……」  サフィーアは「楽しみだわ」とふふっと笑う。  けれど、僕の胸には思いのほか衝撃が大きかった。  そうか、いつか僕は結婚しなきゃいけないんだ。  家のことに熱心でない「父」のおかげか、今のところ僕に婚約の話は決まっていない。この年齢にしては遅いと思うが、別に結婚願望もないので気が付かないふりをしている。  サフィーアを見る。  目を伏せ、ほのかに微笑みながらお茶の香りを楽しんでいる姿は、この世のものとは思えない。ちゃんと繋ぎ止めておかないと陽の光に溶けてしまいそうなほど儚く美しい。    彼女は三十代半ばで、もう結婚するつもりはないようだが、結婚経験のある女性は遊び相手として誘われることが多いと聞く。ましてやサフィーアは美しいのだ。  僕が寄宿生活をしていた間、彼女にどれほどの男が集まってきただろう。  ある時からまるで恋をしているかのように美しくなったサフィーア。    聞けない。知りたくない。  *  サフィーアが侯爵家本邸を出る日が来た。荷物が運び出され、寂しくなった部屋を見渡す。   「またすぐに来るのに寂しいものね」 「……サフィーア、あの……」  サフィーアが首を傾げて僕を見る。 「あの、キスして」 「あら、子供の頃に戻ってしまったのかしら?」  違う、違うよサフィーア。  僕は心の中で反論する。  幼い頃に数えきれないほど頬や頭にキスをしてもらったけれど、そのキスとは違うんだ。    正直、僕がサフィーアに感じている感情は恋情なのか憧憬なのかわからない。けれど、今の僕の目にはサフィーアしか映っていない。僕が触れたいと、その唇にキスをしたいと思うのはサフィーアだけなのだ。  その時、ドアをノックする音がした。 「あの……、よろしいですか? 旦那さまがお帰りです」 「……父上が?」  自分の家だというのに遠慮がちに入ってきた「父」はいつものように目を伏せているが、その表情はわずかに苦しそうだ。 「見送りに……。それとお詫びを」  サフィーアはまっすぐ「父」に向き直り、優雅にカーテシーをした。「父」は視線を上げ姿勢を戻したサフィーアと目を合わせた。 「詫びなど不要です。私はこの屋敷でとても幸せでした」  嫌味ではなく心からそう話すサフィーアを「父」はなにも言わずじっと見ている。  その目には見たことのない感情が乗っている。    反吐が出そうだ。 「アレン」  サフィーアに名を呼ばれてはっとする。 「あなたはとても素敵に育ったわ。私の誇りよ」  僕を抱きしめるサフィーアに体を硬くしていると、頬の、唇に近いところに柔らかなキスの感触がした。  呆然としている僕にサフィーアは「またね」と言い、改めて「父」に優美な礼をして家を出た。  遠ざかる馬車を見送った後、「父」もまた俯いて小さく息を吐き、別邸へと戻って行った。  私室に戻った僕は、未だ柔らかな感触が残る口元を手で触れた。 (……もう、サフィーアはこの屋敷にはいないのか)  じわじわと胸が苦しくなる。目が熱くなりまつ毛が細かく震える。  すぐに会いたい。また抱きしめてほしい。抱きしめたい。  僕の気持ちにはっきりとした名前がついた。  そして僕は胸の痛みを抱え、子供のように泣きじゃくった。  空が白み日が昇る。カーテンの隙間から細い光が差し込んでくる。それはキラキラと金色に輝く彼女の一筋の髪の毛のようで。 (大丈夫、大丈夫。……ありがとうサフィーア。僕は、幸せになる。だから貴女も幸せになって……)  僕はカーテンを大きく開け、金色の光を全身に浴びた。 【終わり】  ***  お読みいただき、ありがとうございました。 ⭐︎サフィーア  若い令嬢たちの憧れの貴婦人となり、住む所もお金もあるし恋人もいて自由です。おそらくアレンの気持ちに気づいていましたが、思い出を残してすっと引きました。しなやかに人生を歩んでいきます。 ⭐︎アレン  サフィーア以上の女性を見つけるのは難しい(マザコンと美化も加わっているため)ですが、初恋を卒業し成長していい男になります。ずっとサフィーアを見守り続けます。   ⭐︎ヴィクター  複雑な想いを持ちつつもジュリアと生きる道を選ぶしかなさそうです。爵位を息子に譲り渡した後のために仕事の比重を増やすかもしれません。  そーっとサフィーアを見守ります(ストーカーかっ)。 ⭐︎ジュリア  アレンが母と認めてくれないのは、ジュリアとアレンを引き離したヴィクターとサフィーアのせいだと思っていますが、ヴィクターと一緒にいるしかないので黙っています。  ちなみにアレンしか子がいないのは、ヴィクターの父から「未婚の間に子をもうけるのは許さん」と言われたためと、ジュリアの産後うつを見たヴィクターが「二人目は無理」と判断したためです。  サフィーアと子を作るのは問題なかったのですが、ヴィクターが意地を張って無視しました。    今後もなんだかんだと三人で交流は続きますが(サフィーアとジュリアは住む世界が違うので交わらない、というかアレンが会わせない)、それぞれの人生が交錯することはありません。
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