くらげのときお

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 聖澤時生(ひじりさわときお)は半年前からクラゲである。  玄関を上がった奥の丁度突き当たりにある、飾り棚の上に置かれた水槽の中。  定期的に切り替わる七色の照明に照らし出され、空想世界の海上で全てを見透かすように(たたず)む月の様に、美しい姿で水中を揺蕩(たゆた)う。  とは言え、本来の自身は色なく骨もなく軟弱で、基本的には水流に任せて浮遊しているだけだ。  人間がクラゲになる理由など掃いて捨てるほどあるのだから、それ自体は取り立てて騒ぎ立てるような事ではない。  きっかけと言っても些細な事だ。  花粉症に悩まされ、辛抱しかねて訪れた町の耳鼻科の待合から、受付の(かたわ)らの水槽で気儘(きまま)に揺れるクラゲを見た時に、 ── あぁ、あんな風に生きたい ただ、そう思ったというだけの事だった。  そして半年前のある日、仕事から帰っての入浴中、クタクタの体で何度も浴槽で寝落ちして溺れかけた挙げ句、結局クラゲになったまま、今に至っているのだ。   食事は母親が日に一度、専用シリンジを使って支給してくれるクラゲ専用のもので補給している。  後は何も考える必要はない。ただただ、水槽が擬似的に起こしているに過ぎない人工的な水流に身を任せていれば、自然と時は過ぎていく。  何も考えず、気にもせず、ただ流れに身を任せて水中を漂う生活 ──  生真面目(きまじめ)にも時生は、これまで一日も欠かすことなくそうであり続けた。  この半年間の時生のクラゲっぷりと言ったら、実に見事なものであったのだ。  ただ時生にとってみれば、(おの)がクラゲであればある程に、それは寧ろどんどん理想のクラゲとはかけ離れたものになって行くようで、不満でありまた、不安でもあった。
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