第2話 マネージャー

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「どうして私がこんな目に……」 蜜姫は、頭を抱えた。 デジタルタトゥーとは、恐ろしいもので、一度、人々の記憶に刻まれると、短時間では消えてくれない。 少しずつ嬉しかった増えていったファンは、急激に離れていった。 彼女のアイドル活動は、凍結され、強制退所も検討されているという。 「もう、お先真っ暗だよ……」 蜜姫は絶望した。 「自分が蒔いた種じゃん」 マネージャーの烏丸夕美は冷たく言った。 「自業自得じゃん」 さらに追い討ちをかけた。 「ううっ」 蜜姫は、胸を押さえてうずくまった。 (押さえるほどのボリュームはその胸にはなかったという。) 「アイドル失格だね」 夕美は、ゴミでも見るような目で蜜姫を見下ろした。 (私はいったい、どうしたら……) チラッ。夕美の方をみやる。夕美は、パソコンでなにやら作業をしていた。 蜜姫は、パソコン画面をのぞき込んだ。 「なに?」 夕美は迷惑そうな顔をしたが、すぐに仕事を再開した。 「ねえ、夕美さん?」 蜜姫が呼びかけた。しかし、返事はない。もう一度呼んでみるも反応はない。無視されたようだ。 (なによ!人が困ってるのに!) 蜜姫は怒りに震えた。そして。 「私の話、聞いてます?」 夕美の肩を揺さぶった。 「待ちなさい。事務所のホームページに載せる文面を書いているから」 「文面?」 夕美は答えた。 「ファンに向けた別れの挨拶」 「まさか……」 「蜜姫がアイドルを辞めるって、ファンの方々に伝えないとダメでしょ?」 蜜姫は、ショックのあまり言葉を失った。 (私はもう、アイドルを続けられないんだ……) そんな蜜姫に追い討ちをかけるように夕美は続ける。 「引退してもらうしかないかな」 「そっ、そんな……」 「でも……起死回生を図る方法がないわけではないよ」 「本当に?」 蜜姫の目に、少しだけ光が戻る。 「これ見て」 夕美は、パソコンを蜜姫に見せた。 「なんですか?」 「SNSに寄せられた投稿や、ファンレターのメッセージ」 「それって、もしかして……?」 「蜜姫に宛てられたものだよ。しかも、あの、炎上の後のね」 蜜姫は、驚いた。 「要は、蜜姫がアイドルを辞めるって知ったら悲しむファンがまだいるってこと」 夕美は蜜姫の肩に手を置いた。そして、こう諭した。 「ま、一人でもファンでいてくれるなら、続けてみてもいいんじゃない?」 「夕美さん……」 「あとね、これは、私の持論だけど、ファンは大事。ファンを裏切ってはいけない。それを前提にしても、ファンは神様じゃないから」 夕美は続けた。 「カップ数を盛ったり、レトルト食品を手作りと偽ったり、誉められたことじゃないけど、些末のことだね」 夕美がつぶやくように繰り返す。 「離れていったファンに甘えるのは、止しなさい。これから、だから、本当の意味で蜜姫のファンを作ることを考えてほしいな」 「ファンを作る……」 「そしてね」 夕美は、バッグから何かを取り出した。 転向(ねがい)__そう、書かれた一枚の書類だった。 「はい?」 蜜姫は、夕美の言葉に首を傾げた。 「アイドル転向願」 「……はい?」 今度は、さらに首をひねって疑問を投げかけた。 夕美は続ける。 「うちの事務所の判断としては、蜜姫がアイドルを続けることを許すよ。ただし……」 「ただし?」 「『アイドル×シェフ』として、活動をしてもらう」 「『アイドル×シェフ』?」 蜜姫は聞き返した。 歌やダンスじゃなくて、料理でファンを獲得する、アイドルのことを指す言葉だ。 「蜜姫がしたレトルト食品をあげるみたいな、中途半端なことじゃなくて、本格的に料理を勉強してもらうから」 「それって……」 蜜姫は口ごもった。 XOプロダクションに応募したときの蜜姫は、歌や躍りはそこそこでも、平均よりも容姿は良いから、何とかなるだろう、と、根拠のない自信と浅い楽観だけがあった。 アイドルになったのだって、周りからチヤホヤされたいからだ。 だから、蜜姫は、逡巡してしまう。アイドル×シェフは、そんな軽い気持ちでこなせるとは、思えないからだ。 そして、夕美も、聞こえの良い言葉を用いたりしない。夕美は、蜜姫の言葉を待っている。 今まで、調子に乗っていた自分に反省する思いがある。どのみち、自分のアイドルとしての生命は一度は絶たれたようなものではないか。 ったのだ。アイドルを辞めさせるということはつまり、蜜姫に本気で料理に打ち込んでほしいということだろう。それなら仕方がないと思えた。 「私、やります。『アイドル×シェフ』になります」 蜜姫は、決意を言葉にした。 「オッケー」 夕美は、蜜姫の肩を優しく叩いた。 「じゃあ、上に伝えておく」 「はい」 蜜姫は、夕美に頭を下げた。 「今のところ、蜜姫の強制退所については、上層部で意見が割れているらしいから、それまでは気楽に待ちなさいな」 夕美は、蜜姫に優しく声をかけた。 「はい」 (まだ、私は、崖っぷちには変わらないか……) 溜め息が出た。 「ま……もし、活動継続が正式に決定されたら、私が蜜姫をプロデュースするから」 夕美は、やり直すとか人気を回復するとか、そんな言葉は使わなかった。 覆水盆に返らずという諺の通り、失ったもの__人気であれ、信頼であれ、それらは元に戻ることはない。 だから、相手の期待を上回ることで、取り返すしか、または、新しく得るしかないのだと。自分の持論だということを付け加えて、夕美は言った。
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