第5話 協会本部にて

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 蜜姫は、とあるビルの一室にいた。 「アイドル×シェフ協会」の本部が、このビルにあるのだ。  蜜姫はその協会の登録と試験をパスしたばかりだった。  傍らには、蜜姫のマネージャーである夕美がいた。夕美は、蜜姫のスケジュール管理だけではなく、企画の立案や取引先との折衝も一手に引き受けており、マネージャー兼プロデューサーというのが実態に近しい。  蜜姫と夕美は、いま、ビルの45階にある応接室にいた。部屋の窓からは街並みが見渡せる。 その風景を前にして、夕美は蜜姫に言った。 「さすが協会の本部といったところかしら」 「この前行った支部も、大きかったですけど、でも、本部の建物となると、また全然違いますね」 と、素直な感想を述べた。 するとそこにノックの音がした。夕美が返事をするとドアが開いて、秘書といった風体の女性が現れた。手には書類を持っている。 「烏丸夕美さんですよね」 「はい。そうです」 彼女は部屋に入ってきて言った。 「須崎と申します。今は、アイドル×シェフ協会の、事務局にて秘書を務めています」 「XOプロダクションの烏丸です」 夕美は軽くお辞儀をした。蜜姫もそれに倣った。 「はじめまして。三ノ宮蜜姫です」 須崎は、30台半ばくらいの年齢の女性で、落ち着いた雰囲気をまとっている。 夕美と須崎は互いに名刺を交換する。 「本日は、試合風景を勉強がてら、三ノ宮に見せたく思いまして」 「承知しました」 蜜姫は、自分がアイドル・シェフになったことに、まだ実感が湧かなかった。 簡単な手続きを済ませて、筆記試験を受けたが、実際に料理をしたわけでもない。 キッチンという舞台に立ち、料理をする自分の姿を思い描くことができないのだ。 夕美には、そんな蜜姫を慮ったのか、料理対決の場に連れてきたのだ。 「少しだけ、ご説明を差し上げましょうか?」 「ぜひ」 夕美は軽く右手を上げて言う。 「アイドル×シェフの活動のひとつに、料理対決があります。チーム同士で、料理の腕を競うわけですね」 「ええ」 「各チームで代表を立ててもいいですし、メンバー全員で、参加しても構いません。 参加人数、テーマ、品数。これらは、自由に決められます」 「要は、お互いの合意に委ねられる、ということですね?」 と、夕美。 「はい。ただ、ご注意いただきたいのは、あくまでも、公式な対決であること。我々の関与しないところで、勝負をしても、非公式のそれでしかありませんので」 夕美の質問に対して、須崎が答えた。 「代わりに、料理対決の舞台となる会場の指定、開催日時、審査員方との日程調整。これらは協会が主導で行います」 夕美は、須崎の言葉を確認しては、メモを取っていた。夕美自身、アイドル×シェフとして、タレントを養成することは初めてだったからだ。 なるべく、情報は精緻に集積しておきたかった。 そして、この料理対決は、ひとつのショービジネスなのだと、須崎の言葉から感じとっていた。 「あの……」 おそるおそる、遠慮がちに蜜姫が手を上げた。 「料理対決ということは、勝ったら、あるいは、負けたら、どうなるんですか?」 「勝てば、ポイントが得られます。負けたら、自分のチームが保有しているポイントを失います」 須崎の説明は、簡素すぎた。 「ポイント?」 アイドル×シェフになったばかりの蜜姫には、話の前提がわからない。 「アイドル×シェフというのは、年間を通じて、料理に関する活動実績に応じて、点数が割り振られるの。それが、ポイントと呼ばれるのよ」 夕美がフォローをした。 「そうなんですね。でも……」 「でも?」 蜜姫が何を言おうとしているのか、須崎には何となく予想がついた。 「料理対決って、ポイント付与とは違いません? 協会から付与されるんじゃなくて、相手方から……ポイントを奪うわけですから」 「ご明察です。三ノ宮さんの言う通りです」 蜜姫の質問に対して、須崎は首肯する。 「あくまで、原則はポイントが付与されるんです。ですが、料理対決は、ポイントを相手から削りたい場合に行われるので、無対価とする場合が多いですね」 「なるほど、これも、合意に含まれるってやつですか……」 「その通りです」 夕美は、溜め息をつく。 想像よりもアイドル×シェフのルールは複雑そうだ。彼らの定める規則とやらに、一度は目を通しておく必要はありそうだ。 「説明は、これくらいにしましょう。そろそろ会場に向かいませんか」 夕美のメモもひと通り書き終えたようだ。 「そうね。行きましょうか」 須崎に連れられて、2人は揃って席を立った。 「実際に参加するようになったら、わかりますよ」 須崎は、蜜姫にそう話しかけた。
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