1/1
前へ
/45ページ
次へ

夕飯は、野菜をふんだんに使った料理ばかりだった。 普段父親の作る料理は、カレーか買ってきたお惣菜。偶に焼肉といった健康には程遠いもの。 緑やオレンジに赤等、色とりどりの食卓に私は目を奪われた。 「あれ?俊樹叔父さんは?」 「ああ。あの子は自分の部屋で食べるがらいいんだよ」 「ふ〜ん」 部屋の隅ではアメも食事を取っており、こちらに丸い背中を向けて一心不乱に食べている。 初めての野菜だけの食事に、少々味気のなさを感じながらも、満足感のある夕食が終わった。 「美和ちゃん。そう言えば、櫛持ってきてくれたが?」 テーブルの上を拭きながらお婆ちゃんは聞いてくる。 「櫛?」 「そう。電話で持ってきてくれるよう頼んだんだけど・・」 「ああそうだ。うん、持ってきたよ。ちょっと待ってて」 隣の部屋に置いた自分の荷物の中から、巾着を出すと居間に戻り 「これでしょ?」 と、櫛を取りだした。 9f738081-5d42-4aba-875c-fe2b193f0969 「ああそうそう。これこれ」 お婆ちゃんは嬉しそうに受け取ると、素早くエプロンのポケットに入れる。 「その櫛がどうかしたの?」 「・・・ごいつは、婆ちゃんがお母さんさやった櫛なんだよ」 「そうなんだ」 「あの子が婆ちゃんの反対を押し切って家さ出る時に渡したんだ。心配だったからねぇ。櫛にお願いしたのさ。どうかこの子が無事で居られますようにってさ」 「反対?」 「ははは。んだなぁ、美和ちゃんがまだ生まれてねえずーっと昔の事だよ。ほれ、お風呂を沸かしてけるがね」 話は終わりとばかりに立ち上がると、祖母は部屋から出ていった。 反対とは一体どういう事だろう。 もっと詳しく聞きたいが、上手くはぐらかすように部屋を出ていった祖母には聞けないような気がする。 (俊樹叔父さんなら知ってるかな) 後で聞いてみたい気もするが、熊のように大きな体をしサングラスを掛けた叔父に声を掛けるのは、少々抵抗がある。 (お父さんは教えて・・くれないだろうな) テレビではお笑い番組が映され、観客の楽しそうな笑い声が流れてくる。 食事を終えたアメが、毛繕いを入念にしているのを横目に祖母がいれてくれたお茶を口元に近付け、フゥ〜フゥ〜と息を吹きかけ冷ます。 優しい湯気と共に緑茶のいい匂いが鼻に入ってきた。 「あっ!!そうだ!忘れてた!夜には必ずお父さんに電話するんだった」 まだ8時。 残業だとまだ帰ってない時間だが約束は守らないといけない。もし居なくても、携帯に掛けるので着信履歴は残るだろう。 私は、玄関の近くに置かれた黒電話の所に行き慣れないダイヤルをぎこちなく回し始めた。 耳元で呼び出し音がなる。 いつまでも鳴る呼び出し音から、留守番電話へと切り替わる。 感情のないアナウンスを聞いた後、こちらに無事着いた事とアメ達がいる事を話すと受話器を置いた。 「ん?どこに電話してだ?」 エプロンで手を拭きながら祖母が聞いてくる。 「お父さんに電話してたの。必ず夜に電話入れなさいって言われてたから。まだ帰ってないみたい」 「そうかい。お父さんもお仕事が大変なんだな」 「うん」 居間へ戻りテレビのチャンネルを変える。 祖母の家のテレビはとても古く、リモコンがないので本体の方で変えなくてはいけない。 最初、どうやって使うのか分からずただの置物かと思ったと言ったら、祖母に笑われた。 「そっか〜今日はアニメやらない日だっけ」 残念な気持ちと共に、一気に夜が長く感じる。 「ははは。婆ちゃんちは気の利いたものがねえがらな。宿題でもやったらどんだ?」 「うん・・・そうする」 パチンとテレビの電源を落とす。 途端に耳が痛くなるほどの静寂が広がり、不安と寂しさが押し寄せてくる。 「明日、お母さんが行っでた学校に行ぐか」 「え?学校?」 「んだ。もうこの辺さ子供なんかいねぇがら、とっくに廃校さなってるんだども建物は残ってるんだよ」 「行く!行ってみたい!」 「ほんじゃ、ちょびっとだけ宿題やったらお風呂さ入って直ぐに寝ねばなんねぇな」 何杯目かのお茶を湯のみに注ぎながら、祖母は笑って言った。 私はいそいそと隣の部屋に行き一番早く終わりそうな宿題を選ぶと、居間に戻り取り掛かる。 (お母さんが行ってた学校かぁ。どんな学校なんだろう。私が通ってる学校みたいに回転シーソーとかあるのかな。何クラスぐらいあるんだろう) 期待が膨らみ想像が止まらない。これでは宿題所ではない。 取り敢えず漢字練習を三ページやり、バタバタと片付けると風呂へと向かう。 カラスよりも早く風呂を済ませた私は、祖母が敷いてくれた布団に飛び込み目をつぶった。 (明日楽しみだなぁ) 私には、母親の記憶が僅かしかない。 公園で転んで泣いている私を優しく介抱してくれた事や、綺麗な黄色の卵焼きをいつも作ってくれた事。そしてあの日。私の四歳の誕生日のケーキを取りに行くと言って笑顔で出て行った時の事。 この家で育ち、ここから学校へ通っていた母親。 どんな風に生活をしてたのだろう。楽しいことはあったのかな。悲しい事もあったのかな。そんな時はどうしてたんだろう。 不意に、母親がどんな風に暮らしていたのか知りたくなった。 (お婆ちゃんに聞いてみようかな) 祖母なら全て知ってるだろうが、何となく躊躇われる。娘を亡くした悲しみがようやく落ち着いてきたから、今になって私に連絡をして来たのだろう。 (少しずつ聞いていけばいいかな) 小さくため息を吐くと、ゆっくりと目をつぶり眠りに落ちた。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加