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幻覚
「おはよう。ははは。今日はねぼすけだなや」
「・・・・・」
「今日はとうきびがいっぱい出来てっから後で一緒に採りに行ぐべな」
祖母の声と共に、カーテンを開ける音がする。目をつぶっていても、薄らと外の明かりを感じる。祖母が歩く度に畳がミシミシと鳴る音が、頭に響くのが不快だ。
「朝ご飯出来てるよ・・・どした?」
ミシミシという音が大きくなり、衣擦れの音と共に祖母の匂いが強くなる。
「あれま。顔が赤いね。熱でもあるのか?」
祖母は、私の額に手を当てる。ガサガサとした手だが、ヒンヤリとしていて気持ちがいい。
「こりゃ駄目だ。熱さあるよ。こったら近くにお医者さいねがらな。俊樹に街の病院さ連れてってもらわなきゃ。俊樹!俊樹!」
慌てた祖母の声が遠ざかっていく。
(ね・・つ?・・風邪ひいたのかな)
言われてみれば体が熱い。汗をかいていたようで、パジャマの胸元がしっとりと湿っている。
薄らと開けた視界は、何故かもやがかかったように見える。
(熱のせいかな・・)
浅い呼吸を繰り返し、痛みが出てきた頭を庇うようにして体を起こす。
「にゃ」
アメだ。
赤い首輪についた小さな鈴をチリンと鳴らし、部屋に入ってきた。
「・・アメ」
アメは私の近くに来ると大きく伸びをして、体全体をブルブルと振る。まだ、視界がぼやけているので、アメがフワフワのぬいぐるみのように見えてしまう。
「風邪が移っちゃうから近くに来ない方がいいよ」
「にゃ」
構わないよとでも言ったのか、アメは私の横に来て小さく丸まり目をつぶる。
私は、アメの体を優しく撫でた。綿あめのような白い毛。生暖かい体温。手を置くと、トクントクンと小さく波打つ心臓の音が手に伝わってくる。ザワついていた心が解れていくようだ。
「私もアメと一緒に寝るよ」
横になり、アメの上にもそっと布団を掛けてやる。ふんわりと優しい匂いがしてくる。
(アメの匂い・・)
私はそのまま眠りに落ちた。
ミシ・・ミシ・・ミシ・・
(ん・・・)
まだ夢の中をまどろんでいる時、やけにリアルな音が聞こえてきた。
(・・誰?)
徐々に意識がハッキリしてくる。薄らと目を開けるが、まだ視界はぼんやりとしていて周囲の光景が霞んで見える。
(気のせいか)
私は再び目を閉じた。その時だ。
首元に何か違和感を感じて目を開ける。
「あ・・」
霞む視界の中に、祖母の顔があった。
霞む目で見た祖母の顔は、恐ろしい鬼の様な形相をしている。
苦しい・・喉が締め付けられているのか、息をすることが出来ない。
「か・・あ・・」
両手で祖母を突き飛ばそうにも力が入らず、ガクガクと体が震えるばかり。
「・・お・かあさん」
無意識に出た言葉。目の前が暗くなり、意識がなくなりそうになる。
「あれま、少しきつぐ巻きすぎだがね。寝ている所わりぃな。焼いたネギをタオルさ入れて首に巻ぐと、熱が下がるんだ。喉の痛みも取れっからな」
祖母の柔らかい声が聞こえた。
「・・・・・お婆ちゃん?」
私はその一言を絞り出すので精一杯だった。
夢と現実が交差する中の恐ろしい幻覚だったのか。分からない。分かっているのは、優しく微笑みながらも心配そうに私を見る祖母が隣に座っている事だ。
「ゆっくり体を休めねばなんねな。ただの夏風邪だべども、油断したら大変な事になるから。お粥こしらえたから、食えるようになったら起ぎてこいな。俊樹がいねんだよ。どっかさ出かけたんだべな。帰ってきたら病院さ行くからな」
祖母はそう言って部屋を出ていった。
襖の閉まる音を聞いた後、私はそっと喉元を触ってみる。ほんのりと暖かく柔らかい感触。
息は・・苦しくない。
先程の恐怖が嘘のように落ち着いて呼吸が出来る。
やはり熱が見せた幻覚だったのだろうか。
ぼうっとする頭で考えるのは難しい。
隣で丸くなっているアメを横目で確認すると、私はまた眠りに落ちていった。
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