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悪夢
それから一週間程かけて、ようやく私の風邪は治った。
その間アメは、見守る様にずっと私の傍にいてくれた。たまに佐藤さんも、縁側から部屋の中を覗いて「くぅーん」と儚げな声で鳴いていた。心配してくれていたのだろう。
「アメ。ありがとう。アメがいてくれたから、全然寂しくなかったよ」
祖母の目を盗み、持ってきた煮干しを納屋の中でアメに食べさせていた。
美味しそうに煮干しを食べ終えたアメは、毛繕いに入る。
その様子を私はジッと見ていた。
今日も蠢くように白い霧がかかる午後。私とアメは霧から逃げるように納屋の奥にいた。
鎖で繋がれていない佐藤さんは、どこかへお出掛け中なのかいない。
ムッとする暑さの中、農機具の油の匂いと米ぬかの匂いがする。
寝込んでいた時の一週間。色んな夢を見た。
あの学校にいる子供達と遊ぶ夢や、佐藤さんとビッグ達と遊ぶ夢。自分の気持ちとは裏腹に比較的穏やかな夢が多かったように思う。
でも一つだけ・・一つだけ怖くて目が覚めてしまった夢がある。
今でもハッキリ覚えてる。
霧が出ていない村は血のように真っ赤に染まってた。夕方かと思ったが、その色は私の知っている夕方の色じゃない。私は家の裏庭に立っていた。裏庭に一足早く闇が訪れようとしている中、私は何をする訳でもなくただ立っていた。
暫くすると人がやって来る。私と同じぐらいの女の子と男の子。女の子は初めて見る子だ。おカッパで愛くるしい顔をしている。
男の子はーーー平太だ。
平太と女の子はとても楽しそうに笑い話しながらこちらに歩いてくる。
声は聞こえない。聞こえないけど、とても仲良しなんだろうと言うことは見ただけで分かる。
二人は柿の木の傍に来ると、突然平太がスルスルと猿のように木を登り始める。
それを見ている女の子は手を叩きながら嬉しそうに見ている。
木に登った平太は得意気にぶら下がったり立ち上がったりして、女の子を喜ばせている。
何気ない友人との楽しい遊び。
余りにも二人が楽しそうなので、私も仲間に入れてもらおうとするが何故か体が動かない。
地面深くに足が埋まってしまったかのように、ピクリともしない。
何とか顔は動くようだが、声すら出ないのは困った。
仕方なく私は、二人が楽しく遊ぶ様子を黙って見ているしかなかった。
女の子に喜んでもらおうと、木の上ではしゃぐ平太。それを、たまに心配そうな顔をしながらも嬉しそうに笑い見ている女の子。
そんな二人を見ていると、何だか気持ちがホッコリと暖かくなってくる。
経験のない私でも分かる。きっと二人は好き同士なんだろうって。
暫くして、木の下にいた女の子が何かに気づきある方向を見たので、私も釣られて視線を向けると、二人の老人がこちらに向かってゆっくりと歩いて来るのが見えた。
途端に、女の子の表情が曇り体を強ばらせたのが分かる。
近づいて来た老人達の顔を見て、思わず吹き出しそうになるのを私は必死に堪えた。
一人は背が低く、真っ白な髪を後ろで一つに縛っている。でっぷりと太っており顔はヒキガエルそっくりだ。
もう一人は背が高く、黒々とした短い髪。体は電柱のように細く顔はヘビに似ている。
二人共野良仕事の途中だったのか、土で汚れた鍬や鎌を持っている。
凸凹コンビの老人は、女の子の近くに寄り何かを話すと上を見上げた。
木の上には平太がいる。
平太は険しい顔を二人の老人に向け微動だにしない。
ヘビに似ている男が鎌を振り上げ、平太に向かって何か言い出した。
それに続きヒキガエルに似た老人も鍬を高々と上げ平太に向かい何か言っている。
私にはその声が聞こえないので、老人二人が平太に何を言っているのか分からない。
分からないが、状況的に険悪で物騒な雰囲気になっている事は分かる。
二人の老人が木の上にいる平太に、鎌や鍬を向け歯を剥き出しにして何かを叫んでいる横で、女の子は老人の服を掴み必死に老人達を止めようとしている。
(何?・・何であの人達は怒ってるの?平太が何かしたの?)
状況が飲み込めず困惑しながら見ていると、必死に止めていた女の子をヘビに似た老人が突き飛ばした。
どさりと尻もちをつく女の子。
それを見た平太は、突然荒々しく枝を揺らしいくつかの葉を散らしながら地面に降りた。
かなり高さがあったにも関わらず、柔らかく降りたった平太に二人の老人はたじろいだ。
前かがみで両腕をだらりと垂らした平太は、二人の老人を恐ろしい形相で睨む。
最早、さっきまで優しい笑顔で遊んでいた平太など何処にもいない。
獣のように歯を剥き出しにして食いしばり、憎悪がこもった目で老人達を睨む。
老人たちは鎌や鍬を振り上げて構えるものの、平太の迫力に圧倒されひるんでいる。それでも必死に震える手で鎌と鍬を握りしめ、平太に向かって振り下ろした。
「危ないっ!!」
私は大声で叫んだが声が出ない。
頭めがけて振り下ろされた鎌と鍬をヒラリとかわした平太は、老人二人の隙をつき女の子の手を取るとあの小道へと物凄い速さで走り去った。
残された老人達は一瞬平太の姿を見失うが、直ぐに鎌と鍬を持ち直し小道へと入っていく。
(・・・・・)
鼓動が激しく、目の前で起きた事が一体何だったのか理解出来ない。
私は目を見開いたままその場に立ちつくした。体からじんわりと嫌な汗が吹き出してくる。
視線はあの小道へと固定され、頭の中は混乱し考えがまとまらない。
ーーーここで夢は終わる。
(あの夢はなんだったんだろう。他の夢より物凄くリアルだった)
「にゃ」
「あ、ごめんね。考え事してた」
優しくアメの頭を撫でる。
ゴロゴロと喉を鳴らし、気持ちよさそうに目をつぶっているアメはとても可愛い。
「ねぇアメ。私の家に来る?お父さんは猫嫌いじゃないと思うんだ」
アメは目をつぶったままだ。
「お婆ちゃんに聞いてみようかな」
その時、こちらに近づいてくる足音に気がついた。
納屋の中はトラクターと精米機が置かれており、その他に農機具が乱雑に置かれている。私はそのトラクターの影にいる。
「こんな所にいたのか」
顔を上げると、そこには俊樹叔父さんが立っていた。
「帰る気になったか?」
「・・帰らないよ」
俊樹叔父さんは、嫌そうに口をゆがめると何も言わずに行ってしまった。
何故そんなに帰らせようとするのか。
私がいたら、何か不都合な事でもあるのだろうか。
「絶対帰ってなんかやるもんか!」
私はわざと大きな声で言った。
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