太夫(ゆめ)を見て鼓楼(ここ)に来て 現実を知り失望を味わう

2/3
前へ
/74ページ
次へ
初音は数え年十三歳になる。 十歳の時にこの見世に売られてきて三年が経つ。 貧しい農家の娘であった初音の本名はしず。 女郎として売られるという意味すらわからず、母親に泣いて頼まれたら娘の立場としては従うしかなかった。 人身売買は禁止されているので、表向きは奉公という形で女衒(せげん)に十両〔約百万円〕で売られたしずはこうしてかずさ屋に連れてこられたのだ。 十両といえば貧乏農家にとってはかなりの大金である。 この金額から女衒はしずの顔立ちを見て上品(じょうほん)と評価したのは確かである。 普通なら三、四両が相場であろう。 そして十歳という年齢は禿としてはギリギリの歳である。 通常、禿は十歳以下と相場が決められている。 だが例外もあり、その子が見込みのあると判断された時には年齢制限はない。 女衒はしずがそれだけの逸材だと判断したのだ。 大門を目の前にして女衒がしずに言ったのは「この門をくぐったら次に出られるのは年季が明けた時か身請けされた時。あとはくたばっちまった時だけだ。それ以外でここを出る事はまかり通らねえ」という言葉だった。 幼いしずがその言葉の意味を知るのは女郎として働き出してからであった。 見世に入って最初にしずを待ち受けていたのは楼主の品定めであった。 股を開いて大事な部分を見せなければならない。 嫌だの恥ずかしいだの拒絶する権利は一切なかった。 ここで娘たちは上品(じょうほん)中品(ちゅうほん)下品(げほん)に分別され、その後の扱いに格段の差が付く しずは女衒の見立てに反して下品と分別され、三十両で安く買い叩かれた。 女衒は不服そうな表情であったが、楼主には逆らえず渋々三十両〔約三百万円〕で手を打つ事となった。 もしこれが上品であれば百両〔約一千万円〕の値が付いたであろう。 この三十両がしずの借金となり、年季が来るまで返済し続ける事になる。 実際にはこの金額に法外な利子がつくうえに、それまでに掛かった稽古の費用、衣装代や格子、太夫に上がれば禿の面倒を見なくてはならず、その費用もすべて遊女持ちであった。 年季までに借金を返済するのは売れっ子の太夫でも難しかったという。 そして見世から「初音」という名前を与えられてかずさ屋のお職である千早太夫について客の相手をする事となった。 下品に定められた初音は客相手をしている時以外は奴隷のような扱いであった。 また、先輩で新造の小町に嫌がらせを受けてはやり返していた。 二人は見世の中では犬猿の仲で、顔を合わせれば言い合いに発展する。 小町は時期太夫としてかずさ屋期待の新造であった。 見た目は綺麗であったが、武家出身という事もあり、プライドが高く他の禿や新造たちを見下す態度が目立ち、上からは気に入られていたが、仲間たちからは敬遠されている人物だ。 見世では清搔も任されていたが、それも鼻にかけていて初音も用が無ければ話したくもない人物であった。 清搔の三味線演奏は、歌を歌わない三味線だけの演奏で見世によって違うが、多くは第二・第三の二弦を同時に弾く音と、第三弦をすくう音とを交互に鳴らすという単純なものであった。 丁寧に演奏するというよりは単なるBGMとして流されていたので、三味線が出来るなら新造でも可能であったのだ。 清搔の演奏を任されたのを鼻にかけたり、優越感や特別扱いされていると思うのは大間違いなのだが、小町は見世の清搔を任されたというだけで有頂天になっていた。
/74ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加