挿話 遊女は重労働でありんすよ 若紫の一日 前編

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挿話 遊女は重労働でありんすよ 若紫の一日 前編

わっちは若紫(わかむらさき)。 何を隠そうあの朝霧太夫の禿だったんでありんす。 えっ? 隠すも何も知らない。 朝霧太夫を知らないんでありんすか? あ、わっちを知らないんでありんすね。それは失礼致しんした。 わっちは吉原の大見世、玉屋で新造をやっておりんす。 若紫(わかむらさき)は今の名前で禿時代の名前はおしのと言いなんす。 まだ若紫に慣れておりんせんので、おしのの方が知っていて下さるぬしさん〔お客さん〕が多いでござりんす。 さて、今日はわっちが遊女の一日をお教えしなんす。 遊女というよりわっちの一日でござりんすけどね。 まあ、この吉原ではどの見世も大体同じでござりんすからご参考までにしておくんなし。 吉原の朝は早いでありんす。 暁七つ〔午前四時〕にはぬしさん〔お客さん〕がお目覚めで、姐さんたちが歯磨きや洗顔を手伝って帰り支度を済ませると、ぬしさんは姐さんたちが立ててくれたお茶を飲むんでありんす。 太夫や格子のような部屋持ちの遊女には茶道具一式が用意されていなんす。 もちろん、これは遊女の自腹で借金になりんす。 このお茶の事を遊郭では「上がり」と言いなんす。 遊郭ではお客が付かない暇な状態の事を「茶を引く」と言いなんして、わっちら遊女は茶という言葉が嫌いでありんすよ。 なので、見世で茶を頼みたい時には「上がり」とか「出花」と言うのが通なぬしさんなんざんす。 明け六つ〔午前六時〕に浅草寺の鐘がなると大門が開きなんす。 吉原は周りが何もない田んぼに囲まれた場所にありなんすので、見世の二階にあがれば浅草寺が少しだけ見えるんでござりんすよ。 鐘の音を合図に支度を済ませたぬしさんがお帰りでありんす。 直接見世に来たぬしさんはこの時に揚代を支払うんでありんす。 見世で清算を済ませたぬしさんとはここでお別れで、見世の入り口までお見送りでありんす。 朝帰りのぬしさんは顔を隠すために頭巾をかぶってお帰りになりんすが、この時に耳元で「またのお越しをお待ちしておりんす」と名残惜しそうに囁くのが「後朝(きぬぎぬ)の別れ」というやつでござりんす。 この時にどれだけ別れが悲しくて名残惜しそうな表情が出来るかが遊女の腕の見せ所なんでありんす。 「今度はいつ会えるんでござりんすか」 「いつまでも一緒に居たいでありんす」 みたいな言葉をかけて寂しげな表情で手を振る演技の上手さは朝霧姐さんも花香姐さんもさすがでござりんす。 わっちはあんな色気はありんせんし、演技も出来んせんし、まだまだ未熟でござりんす。
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