はじめに

1/1
前へ
/74ページ
次へ

はじめに

用語解説をご参考までに ※ありんす言葉(廊詞(くるわご)) 実際には見世によって微妙に違いがあったという事です。 調べられる限りは調べて書きましたが、当然ながら吉原に行った事も太夫に会ったこともないので、どうしても現代の言葉と混同してしまっていると思いますが、そこはご容認下さい。 ※遊女の最高位を花魁と呼ぶようになったのは宝暦(一七五一年)からで、それ以前は最高位を大夫、その一つ下を格子と呼んでいました。 この物語は徳川吉宗の時代(一七二六年ごろ)に設定していますので、花魁ではなく太夫になります。 (花魁は江戸の吉原のみ。京都と長崎の遊郭は最後まで太夫でした) ※店の筆頭である遊女を「お職」と呼ぶのは本来は小見世で使われていた言葉で、大見世・中見世では使わなかったと言われていますが、ここではわかりやすいように「お職」を使いました。 ※禿〔かむろ〕 十歳以下の少女。遊女屋で奉公しながら廓内での習慣や芸などを学びます。見込みのあるものは楼主について行儀や芸を仕込まれました。 ※玉屋は吉原の江戸町一丁目に実在した見世ですが、この物語の玉屋はあくまでも架空の見世であり、実際の見世とはなんの関係もありませんのでご理解下さい。 ※一両の現代価格ですが金の相場によって金額が変わるため、さくらの剣シリーズでは一両=10万円で統一しています。ご了承下さい。 ※遊郭ではお客さんの事をぬしさん、主さん、主様と言った呼び方をしますが、見世によって言い方が違います。ここではぬしさんで統一しています。(主様はあなたという意味もあります) ※揚屋 引手茶屋の前身となる見世。元々は太夫や格子などの高級遊女と床入りまでする場所であったため、大夫道中は布団一式まで担いでくる大変なもので、あまりにも金がかかり過ぎて享保〔一七一六年から一七三六年〕には十数件あった揚屋もなくなり、引手茶屋が台頭してきた。 この物語の年代〔一七二六年〕にはまだ揚屋も存在していたと思われますが、ここでは茶屋としました。 ※新造 禿を卒業した少女が新造となります。年齢的には十三歳から十六歳くらいまでで、太夫などの先輩遊女について接客法を習う客を取る遊女の一つ手前の地位です。 その中でも特に美貌と才能を見込まれた子は楼主の手元で「引込新造」として育てられることもありました。 引込新造になれば、太夫になることはほぼ確実でした。 ※太夫道中 花魁道中の方が有名ですが、この当時は太夫道中と言われていたそうです。 ※遊女は病気などで死んだ場合、真夜中にこっそり、逆さ吊りにされて吉原から運び出されて日本堤下の弘願山専称院西方寺、三輪の浄閑寺の共同墓穴に、無縁仏として投げ込まれました。 ※羅生門河岸(らしょうもんがし)は東河岸、浄念河岸(じょうねんがし)は西河岸とも呼ばれています。 下級遊女たちの吹き溜まりと言われ、吉原の中でも知らない者がうっかり入ったら見ぐるみ剥がされると言われる危険区域でした。
/74ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加