3.「彼」と黒の長官

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 橋は「都市」の境にある。公安のある地区からは遠い。  やがて朝のラッシュにぶつかるだろう、と朱明と呼ばれた男は気付いた。カーステレオから流れるFMからは、今週の「中央」のヒットチャートの番組が始まっていた。  一ヶ月遅れのヒットチャート。月に一回仕入れるものは、食糧や工業原料だけではない。月遅れの「中央」の情報をも仕入れるのだ。  統制する必要のある情報以外は取り入れた方が有効だ、というのが公安の道理である――― が、朱明はこの番組がそう好きではない。 「ずいぶん眠そうだね、お前」 「眠いんだよ俺は」  吐き捨てるように朱明は言う。  黒の公安の制服のボタンは、上から三つ外れている。  中に着ている黒いタンクトップが、ややくたびれた顔をのぞかせている。袖は半分まで折られ、細いが筋肉質のその長い腕をむき出しにしている。 「用事があったから出向いてみりゃお前はいねえ。藍地(あいち)がヒステリー起こすから早く捜してくれって芳紫(ほうし)の奴もぎゃーぎゃーうるせえし」 「女の子じゃないのにヒステリー呼ばわりはおかしいよな」 「HAL(ハル)!」  怒号する。車内が一瞬びりびりと震えた。 「怖いなあ」 「お前なあ……」 「ああ…… 悪い」  HALと呼ばれた「彼」は、全く悪いと思っていないような顔でつぶやいた。 「でもな、そりゃそう簡単には見つからないようにしてるものな。でも朱明、お前よく見つけるな。藍地も芳ちゃんも絶対俺見つけられないのに」  くすくすくす。 「お前の行動は時々妙に分かりやすいからな」  声が更に低くなる。 「そうだよね。昔から朱明はそうだった。ずうっとそぉだったよな。お互い放浪癖あるからかなあ? きっと俺たち、遠い昔からのお友達なんだよ」  冗談はよせ、と朱明は眉をひそめた。  中心に向かう道路に入りかけていたのを、朱明は方向転換する。やや予期しなかった行動にHALはシートベルトを身体に食い込ませてしまう。 「あっぶないなあ」 「言える立場かよ、全く」 「まあ確かに言えないなあ」 「何かお前にあってみろ。俺だけじゃない。この都市がどうなるか考えたことがあるのか?」  HALは正面を見続ける。何百回と繰り返される台詞。  もう聞きあきている。そしてその言葉が全く効力の無いことも知っている。  だけどそんなこと言ってはいけない。何故ならそのたび彼らは本気なのだから。 「心配せんでも、俺そぉそぉそんな馬鹿なことはしないよ」 「本当か?」 「約束する」  それが信用できないのだ。朱明にとっては。  幾度そんな言葉を聞いたことだろう。そしてそのたびその言葉は意味を無くすのだ。 「朱明は意外に心配症だ。藍地より下手するとキミ、神経質と違う?」  部分的にはそうだ。それは昔から知っている。 「誰のせいだと思ってる?」  まっすぐ進行方向を見たまま、だが大真面目に朱明はHAL以上の低音で責める。視線は絡まない。 「俺のせいだな」  HALはつぶやく。全くそんなこと思ってもいないような口調で。 「俺のせいだよ。そぉんなことずっと昔から判ってることじゃないの。今さら何言ってんの。俺そんな繰り言いう奴嫌い」 「HAL!」 「ほらほら目は進行方向」  くすくすと笑いがHALの口もとから洩れる。 「あのな、朱明、あんまり怒るとシワが増えるよ。お前、もともと疲れとかすぐに出るしなぁ。俺、お前が年取りすぎた図なんてあまり見たくないもん」  ふう、と朱明はため息をつく。そして車をややサイドに寄せ、ブレーキを踏んだ。  二回目の思わぬ行動にようやくHALは隣の席の男に視線を飛ばす。 「ホント危ないなあ。俺に何かあったらお前どぉすんの?」 「本当にそう思うか?」 「思うよ」 「そう思うんだったら…… いい加減お前、目を覚ませ」  ため息を一つ。大きな手で朱明は顔を半分隠した。  ちら、と窓の外を見る。ああ、とHALはここが何処だったか気付く。  もと高速道路だ。  昔は「都市」の外へ続く高速用の道路だったが、今となっては郊外を「ただ走る」ためのコースになっているに過ぎない。  少しだけ開けた窓から、タイマーの狂った小学校のチャイムが聞こえてきた。
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