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4.月曜日の夜
ギリギリの音。
背筋を一気に氷でなで上げられるにも似た感覚が走る。
それが音の高さと色と速さのせい―――と、気が付く前に安岐はその音に首ねっこを押さえられていた。
強烈だった。
見えないくらいの速さで少女の右手はピックを上下に動かす。
ヴォリュームは強! ひたすら強!
爆音の様な前ノリのリズム、つりこまれていく、身体が勝手に動く、頭の中が音符だけになる。
見えない位の速さで動く少女の親指に銀の分厚い指輪が時々光る。
髪は長くはない。肩より少し短い程度だ。抜いても染めてもいない、生粋の、この国の人間の髪の色。ちょっと出来すぎくらいの黒。
「TM」よりやや東寄りの町「I2」。
そのメトロの駅の出口のすぐ前にライヴハウス「BLACK-BELT」はあった。
そこでは毎晩の様にライヴがある。
プロアマ問わず、と言いたいのだが、あいにくこの都市に「プロ」はいない。
音源を作って中央を含む正規のルートで販売して生計を立てるものを「プロ」と呼ぶなら、それはこの都市には存在しない。
とは言え、音楽でメシを食う者は多かった。
何故か都市は音楽に関係する者を優遇している。理由は誰も知らない。ただし行政レベルだけだから、せいぜいのところ、税金徴収の際、「特別還付金」という一項を加えた程度だが。
特にこの地区「I2」にはそんな人間が多かった。ライヴハウスもこの街の規模にしては実に多い。
「俺このバンド初めてだよぉ!」
横で友人兼同僚の津島が怒鳴る。怒鳴りでもしなければ声は隣の奴にも届かない。
「でもすげえ!」
「何だってぇ?」
「すげえって言うの!」
「珍しいじゃん、安岐!」
実際珍しいことだった。
安岐の目はただ一つ、ギタリストの少女に注がれている。
ギターを抱えた身体はそう大柄ではない。腕はむき出し。だけど脚はゆったりとしたパンツで覆って。
音だけ聴いたら想像もつかないくらい華奢な腕を小刻みに動かし、強烈な音であたりをかき混ぜている。
耳ぐらいの長さで切りそろえられているらしい前髪が、動くたび顔を覆うから、時々見える太い眉と黒い目と、色味のやや少ない厚い唇以外はっきりしたとは判らない。
いつしかそれ以外の音は彼の耳には届いていなかった。
初めてだった。こんなことは。
ライヴ自体は初めてではない。時々、こうやってロック好きの津島に連れられて、いろいろなライヴハウスへは出かけたことがある。
けどこれは。
ふと胸の真ん中を彼は押さえた。
ステージの上を赤のライトがくるくると回りだす。サイレンが似合いそうなリズムだ。
髪が左右に揺れる。スネアに合わせて揺れる。脚は器用にベースのリズムをとって弾んでいる。軽いステップ。重い木のステージを猫科の肉食獣のしなやかさで跳ねる。回る。
光が一瞬の間を置いて一気に開く。呼吸が止まる。
撃ち抜かれた。
彼は確信した。
違う、音じゃない。
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