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1.早朝の大気
――早朝の大気は水をはらんでいるのではなかろうか?
彼は頬をかすめる涼やかな大気の流れを感じながら、ふとそんなことを考えた。
「川」のせいだろうか?
都市は「川」に囲まれている。
朝もやだけでなく、その「川」は下がいつも見えない程の霧がかかっている。だから……
いや、それだけじゃないような気もする。
「川」を見おろしながら、安岐はポケットから煙草を取り出した。「大気条例」では、この時間の喫煙は禁止されている。閉ざされた都市においては無闇に大気を汚すものに鋭く目が光っている。
―――どーせ見つかることなんかねーさ。
彼は不器用な手つきで一本取り出すと、火を付けた。
軽く煙を口に含むと、その味が広がる。
ぼんやりと、彼は見えない「川」の下を眺める。
「全部で八本」
そう言ったのは誰だった? 遠い昔の記憶だ。
「満月の夜、その八本の橋の何処かが開くんだ」
ずっとずっと昔だ。この川に落ちた人がそう言った。それはまるでおとぎ話のように思い出されること。
「次の満月に開くのはおそらくこの橋だ」
だけどこれは違う、と彼は思い返す。遠い記憶とつい最近の記憶がごちゃごちゃになっている。
あれを言ったのは壱岐だ。仕事の話をしながら奴はそう言ったんだ。
安岐は自分の上司・兼・もと保護者の声を思い出す。
満月の夜にだけ、この都市の「川」に掛けられた橋は外とつながる。
「仕事のチャンスだ」
と。
いきなり人の気配がした。
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