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3 金浦の話
翌朝目を覚ますと、蒼真が誰かと揉めているような声が聞こえてきた。
声は浴室の方から響いている。俺は起き上がってどうしたのか聞きに行こうとしたが、思い直して耳をそばだてることにした。
「――どういうつもりって、それはお前も想像がついているんじゃないか。……それ以外に何がある。……カウンセリング?もう行かせない。俺は夕晴と生きていく。……どうしてって、話す義理はないな」
相手が何か話している気配がしたが、蒼真は一方的に通話を切る。
俺はこっそり浴室へと近づき、ほとんど閉められていた浴室の戸から中を覗き見る。蒼真が鏡の中に映る自身を見ている姿が見えた。
その目と合いかけた瞬間、俺の鼓動がいやに騒いだ。
昨日、電車に轢かれかけた時に蒼真と目が合った時の感覚に似ていたが、今度もまた原因が分かる前に蒼真の表情は見えなくなる。
蒼真が俺に気がつき、ぱっとこちらを振り返る。
黒く塗りつぶされた顔からは何も伺えない。俺は込み上げる怖気を振り切り、無理やりに明るい声を上げた。
「ちょっとコンビニに行ってくる」
「……」
無言で見られている気配を感じながら玄関へ向かおうとすると、蒼真が勢いよく戸を開き、俺の腕を掴む。
咄嗟に振り払おうとすれば、蒼真の手に力が籠り、顔を顰めるほどの痛みが走る。
「痛い」
訴えても蒼真は力を緩めることなく、俺の手首を背中に回して身動きを封じるように壁に押しつけてきた。
「そう、ま……」
「どこから聞いていた」
「どこから、って……」
「答えろ」
いつになく冷え切った声を出す蒼真に冷や汗が滲み始めた瞬間、着信音が鳴り始めた。
その途端に蒼真の力が緩み、俺はその隙をついて抜け出すと、急いで鳴り続けるスマートフォンを掴み、部屋を飛び出した。
しばらく走った後、まるで逃げるように出てきてしまったことに後悔が過るが、同時に次第に鎮まる鼓動が安堵を表しているのも確かだった。
「俺、なんで……」
困惑しながら呟く間にも、着信音はずっと鳴り続けている。
背後を振り返っても蒼真の姿はない。何も考えずに走って来たのだが、俺はなぜだかあのクリニックの方向へと向かっていることに気がついた。
電車の走行音がして、その音から身を隠すように路地裏に入り、スマートフォンを見る。
相手の名前は表示されていなかったが、俺は迷わず着信に出た。
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